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宮中三殿

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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==祭典==
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*毎朝:侍従代拝
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*御代拝:毎朝侍従が賢所(宮中三殿)を拝礼する。 天皇は侍従の復命があるまで慎んで待つ。
*旬祭:毎月1日、11日、21日
*旬祭:毎月1日、11日、21日
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賢所御神楽、神武天皇祭、昭和天皇祭には宮内庁楽部の楽人(定員26人)が御神楽を奉納するが、楽人は公務員であるため、休暇を取って奉仕しているという(中澤伸弘『宮中祭祀』)。
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*賢所御神楽、神武天皇祭、昭和天皇祭には宮内庁楽部の楽人(定員26人)が御神楽を奉納するが、楽人は公務員であるため、休暇を取って奉仕しているという(中澤伸弘『宮中祭祀』)。
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*大祭には天皇、皇后、皇太子、皇太子妃が出席する。ただし新嘗祭には皇后、皇太子妃は出席しない。
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*小祭には天皇、皇太子が出席する。
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2019年11月9日 (土) 時点における版

宮中三殿
きゅうちゅう さんでん

明治天皇大喪E0604.jpg

概要 近代天皇祭祀の中枢となる神殿。賢所、皇霊殿、神殿から構成されている。
所在地 東京都千代田区千代田
社格など 神殿:式内社
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宮中三殿(きゅうちゅう・さんでん)は、東京都千代田区の皇居にある、宮中祭祀の中心となっている神殿である。天皇のレガリアでもある八咫の鏡を神体として天照大神を祀る賢所(かしこ・どころ)、神祇官神殿を継承する神殿(しんでん)、歴代天皇皇族の霊を祀る皇霊殿(こうれいでん)から構成される。

吹上御苑の東南部にある。敷地は約2200坪。土塀で囲まれている。

中国では、『周礼』に「左祖右社」とあり、左(向かって右)に皇帝の祖先を祀る宗廟、右に土地神と穀物神を祀る社稷壇を設けてきたが、宮中三殿では、左に神殿、右に皇霊殿があり、左右が逆に配置されているとも言える。

社は3殿であるが、神体は、賢所に2座、皇霊殿に2座あるため、御羽車は5基が用意されている。

目次

年譜

  • 明治2年:東京遷都に伴い、皇居の山里の地に賢所を遷座。
  • 明治2年6月:神祇官に神座を設ける。
  • 明治2年12月17日:神祇官神殿を建て、八神・天神地祇・歴代天皇を奉斎。
  • 明治3年1月3日:鎮祭の詔、大教宣布の詔。
  • 明治4年9月:神祇官神殿から歴代天皇を賢所に遷座。
  • 明治5年4月2日:神祇省廃止にともない、八神と天神地祇を賢所に遷座。
  • 明治5年11月:八神と天神地祇を合わせて祀ることになる。
  • 明治6年5月:皇居火災。赤坂仮皇居内に遷座。
  • 明治10年1月:歴代天皇だけでなく、歴代皇后や皇族も合祀することになる。
  • 明治22年1月9日:現在地に遷座。現在の社殿を造営。
  • 明治38年:檜皮葺から銅板葺に改める。
  • 大正大礼大嘗祭のため、京都御所春興殿に渡御。
  • 昭和大礼大嘗祭のため、京都御所春興殿に渡御。
  • 平成18年:耐震工事のため、仮殿に遷座。
  • 平成20年:正遷座。

社殿

  • 賢所:近代には京都御所の春興殿に対して温明殿と呼ばれている(登極令)。
  • 神殿
  • 皇霊殿
  • 神楽舎:賢所の正面にある。
  • 賢所前庭:
  • 左幄舎:神楽舎の東にある。
  • 右幄舎:神楽舎の西にある。
  • 奏楽舎:左幄舎の北にある。
  • 御羽車舎:奏楽舎の北に接続。
  • 綾綺殿:賢所・神殿の真裏にある。天皇皇后が着装や手水をするための御殿。また毎年新嘗祭の前日に鎮魂祭を行う。平成大嘗祭の時は「大嘗祭前一日鎮魂の儀」を行った。
  • 御饌殿:皇霊殿の真裏にある。
  • 便殿:
  • 賢所詰所:
  • 内掌典宿所:
  • 左廻廊:
  • 右廻廊:
  • 東宮便殿:


  • 神嘉殿:天皇が新嘗祭を行う御殿。
  • 神嘉殿前庭:元旦早朝に仮舎を建て天皇が四方拝を行う。大祓もここで行う。
  • 膳舎:神嘉殿に接続。
  • 御遥拝所:神嘉殿に接続。
  • 正門:賢所・神楽舎の正面にある。
  • 神嘉門:神嘉殿の正面にある。
  • 北門:
  • 東門:
  • 通用門:
  • 仮殿:土塀の外にあったらしい。

組織

歴代掌典長

  • 1九条道孝(1839-1906)<1884-1898>:九条尚忠の長男。貞明皇后の父。国事御用掛。左大臣。奥羽鎮撫総督。氏長者。1884年(明治17年)公爵。貴族院議員。1884年(明治17年)10月3日~1898年(明治31年)9月10日
  • 2岩倉具綱(1841-1923)<1898-1915>:富小路政直の子。孝明天皇近習。1871年(明治4年)明治政府の参与。1915年(大正4年)宮中顧問官。1898年(明治31年)9月10日~1915年(大正4年)12月27日
  • 3九条道実(1869-1933)<1915-1933>:九条道孝の子。掌典・式部官を兼務。公爵。貴族院議員。1915年(大正4年)12月27日~1933年(昭和8年)1月19日
  • 4三条公輝(1882-1945)<1933-1945>:三条実美の三男。東京帝国大学卒。1892年(明治25年)分家して男爵となる。1924年(大正13年)本家三条実憲の養子となり家督相続。公爵。皇后宮主事。皇太后宮事務官。御歌所長。貴族院議員。1933年(昭和8年)1月28日~1945年(昭和20年)11月10日
  • 5坊城俊良()<1945-1945>:著書『宮中五十年』。1945年(昭和20年)11月10日~1945年(昭和20年)11月27日
  • 6恒憲王(1900-1978)<1945-1946>:賀陽宮邦憲王の第一王子。陸軍大学校卒。陸軍戸山学校校長。陸軍大学校校長。陸軍中将。貴族院議員。1947年(昭和22年)10月、臣籍降下して賀陽恒憲と名乗る。御歌所長。敬老園理事長。1945年(昭和20年)11月27日~1946年(昭和21年)2月25日
  • 7徳大寺実厚()<1946-1946>:1946年(昭和21年)2月25日~1946年(昭和21年)8月12日。平安神宮宮司。
  • 8甘露寺受長(1880-1977)<1946-1959>:東京帝国大学卒。伯爵。東宮侍従。侍従。1939年(昭和14年)侍従次長。1945年(昭和20年)宮内省御用掛。明治神宮宮司。著書『背広の天皇』。1946年(昭和21年)8月12日~1959年(昭和34年)5月21日。
  • 9室町公藤()<1959-1960>:1959年(昭和34年)5月21日~1960年(昭和35年)11月10日
  • 10徳大寺実厚()<1960-1968>:1960年(昭和35年)11月10日~1968年(昭和43年)9月10日。再任。
  • 11永積寅彦()<1968-1977>:1968年(昭和43年)9月10日~1977年(昭和52年)6月20日
  • 12東園基文()<1977-1991>:1977年(昭和52年)6月20日~1991年(平成3年)4月1日。神社本庁統理。
  • 13小出英忠()<1991-2000>:1991年(平成3年)4月1日~2000年(平成12年)4月1日
  • 14本多康忠()<2000-2002>:2000年(平成12年)4月1日~2002年(平成14年)9月10日
  • 15井関英男()<2002->:2002年(平成14年)9月10日~
  • 手塚英臣()<>:
  • 楠本祐一()<>:

(井関英男まで『皇室事典』角川学芸出版)

組織沿革

  • 1871年9月:刀自(内侍)中心の奉仕を改め、男性(のちの掌典)中心の奉仕となる。女性は内掌典と改称。
  • 1907年:宮内省官制で掌典12人と定められる。
  • 1947年:掌典長1人、掌典次長1人、掌典5人、内掌典5人、出仕3人、雑仕2人となる。

祭典

  • 御代拝:毎朝侍従が賢所(宮中三殿)を拝礼する。 天皇は侍従の復命があるまで慎んで待つ。
  • 旬祭:毎月1日、11日、21日
  • 賢所御神楽、神武天皇祭、昭和天皇祭には宮内庁楽部の楽人(定員26人)が御神楽を奉納するが、楽人は公務員であるため、休暇を取って奉仕しているという(中澤伸弘『宮中祭祀』)。
  • 大祭には天皇、皇后、皇太子、皇太子妃が出席する。ただし新嘗祭には皇后、皇太子妃は出席しない。
  • 小祭には天皇、皇太子が出席する。
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