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宮城県護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年8月6日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
宮城県護国神社(みやぎけん・ごこくじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区の青葉城跡にある招魂社。祭神は宮城県の戦没者。私祭招魂社。内務大臣指定護国神社。別表神社。仙台招魂社。占領中は宮城神社と称した。
目次 |
祭神
5万5798柱(靖国神社百年史)
5万6091柱(全国護国神社一覧)
宮城県のほか、福島県・新潟県・山形県など第二師団管内も範囲に入る。
歴史
1898年(明治31年)に昭忠会を結成し、佐賀の乱以来の追悼祭を行う。1902年(明治35年)、昭忠碑を建立(現存)し、1904年(明治37年)8月27日に青葉城本丸跡に招魂社が創建される。
1939年(昭和14年)4月1日、内務大臣指定の「宮城県護国神社」となる。 1945年(昭和20年)7月10日未明、空襲により焼失。9月19日、秋保神社(あきう:仙台市太白区秋保町)を仮宮として遷座。1950年(昭和25年)に復興委員会を結成し、1952年(昭和27年)境内地の譲渡を実現した。1953年(昭和28年)4月29日、市内に奉斎殿を造営し、仮宮より遷座した。天守台にも仮宮が設けられた。また1953年(昭和28年)から1967年(昭和42年)まで大町頭に「奉斎殿里宮」があった。
本社本殿は伊勢神宮風宮正殿古材を拝領して造営されることになり、1958年(昭和33年)8月6日に竣工し遷座した。1953年(昭和28年)には拝殿と宝殿が造営された。1947年(昭和22年)7月21日、「宮城神社」と改称。1957年(昭和32年)8月20日、宮城県護国神社に復した。関連組織として、宮城県護国神社奉賛会、宮城県連合遺族会がある。
境内
- 本社:本殿は伊勢神宮風宮正殿の旧殿。左右宝殿がある。拝殿赤い。昭和造営時は護国神社様式だったが、戦後は違う。
- 別宮浦安宮:1967年(昭和42年)創建。左宮は天照坐皇御神ほか3柱。右宮は白水稲荷大神・伊達政宗。
- 奉斎殿:かつて公園そばにあった。
組織
歴代
- 佐藤重三郎(1883-)<>:群馬県出身。国学院大学卒。神宮禰宜。塩竈神社宮司。鹿児島神宮宮司。関東神宮宮司。宮城県護国神社社司。
- 田中靖麿()<>:1958年(昭和33年)在職。
- 田中光彦(-2018)<>:1961年(昭和36年)靖国神社に奉職。1964年(昭和39年)靖国神社主典補。2018年(平成30年)11月27日死去。80歳。神社本庁長老(追贈)。
- 田中於莵彦(1943-)<2019->:1943年(昭和18年)生。東北学院大学経済学部卒。国学院大学専攻科修了。1981年(昭和56年)権禰宜。1990年(平成2年)禰宜。1992年(平成4年)権宮司。2019年(令和1年)1月25日、宮司。青葉城資料展示館館長。