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山内神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
山内神社 やまうち じんじゃ | ||||
概要 | 明治維新の功臣を奉斎する神社。 | |||
奉斎 | ||||
所在地 | 高知県高知市鷹匠町2-4-65 | 所在地(旧国郡) | ||
所属(現在) | (単立) | |||
格式など | 別格官幣社 | |||
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山内神社(やまうち・じんじゃ)は、高知県高知市にある、高知藩初代山内一豊、幕末に大政奉還を幕府に進言した15代山内豊信(容堂)など山内家歴代当主を祀る霊社。山内家の霊廟。江戸時代後期に建てられた一豊を祀る藤並神社と、明治維新後、その御旅所に建てられた歴代当主を祀る山内神社を前身とし、昭和9年、明治維新の功績者である容堂を祀る別格官幣社として創建。戦後、藤並神社を合祀した。土佐国土佐郡高知城下。豊範も祀る。高知城から1km南の鏡川北岸にある。鏡川を挟んで、南側には、祭神の歴代藩主が眠る山内家墓所と菩提寺曹洞宗真如寺がある筆山がある。
目次 |
概要
藤並神社は、文化3年(1806)に藩祖一豊と夫人見性院、2代豊義を祭って創建。高知八幡宮宮地豊前の建議があったともいう。高知城内、現在は県立図書館などがある一帯に祭られた。10代豊策の時代だった。天保6年(1835)には吉田家から「藤並大明神」号が認められ、翌年大祭が行われた。一豊は藤並神君とも呼ばれた。山内神社の鎮座地となる場所は、大祭に合わせて定められた御旅所だったという。
廃藩置県直前の明治4年3月、最後の藩主16代山内豊範が、御旅所に祖霊を祀る神社を創建。3代忠豊から14代豊惇を祭神とした。翌年、村社となった。
昭和に入り、明治維新の功績者として、容堂を祀る神社の創建が決まり、昭和3年9月25日出願、昭和7年2月13日創立許可を得た。昭和9年、鎮座した。昭和9年(1934)4月20日、「維新の大業を輔翼し国家に特別顕著なる功労ありしものと認めらるる」として別格官幣社に昇格された。 旧山内神社に祀られていた3代から14代の神霊は、藤並神社に遷座した。
第二次大戦で当社と藤並神社はともに焼失。戦後の昭和45年、当社の社殿復興とともに、藤並神社は当社に合祀された。
歴史
境内
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』