ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
山城・宝積寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年9月1日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
宝積寺(ほうしゃくじ)は、京都府乙訓郡大山崎町大山崎にある真言宗寺院。本尊は十一面観音。行基の創建。離宮八幡宮の神宮寺の一つだった。真言宗智山派。通称は宝寺。宝山寺とも呼ばれた。山号は天王山、補陀洛山、銭原山。(参考:同名寺院宝積寺)
歴史
神亀年間に行基が創建。『続本朝往生伝』によると寂照(大江定基)が1003年(長保5年)の入宋の直前に宝積寺で法華八講を修した。 1202年(建仁2年)と1206年(建永1年)に藤原定家が参詣。1232年(貞永1年)に火災で焼失。すぐに再建され、現在の本尊もこの時の造立とみられている。1579年(天正7年)、織田信長が滞在。1582年(天正10年)には豊臣秀吉が寺の近くに城を築き、宝寺城と呼ばれた。江戸時代には無量寿院・大仙院・自性院・多聞院・松元坊・覚昇坊があった。西観音寺と交代で離宮八幡宮に奉仕した。(日本歴史地名大系)