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山城・西明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年9月10日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
西明寺(さいみょうじ)は、京都府京都市右京区にある真言宗寺院。本尊は釈迦如来。真言律宗西明寺流の発祥の地で、宗派を超えた戒律復興運動の発信源となった。神鳳寺・野中寺と共に西明寺流の三僧坊の一つ。 神護寺、高山寺に近い。現在は真言宗大覚寺派。平等心王院と号す。通称は槙尾西明寺。山号は槙尾山。神護寺関連旧跡。(参考:同名寺院西明寺)
目次 |
歴史
明忍以前
天長年間、空海の甥の智泉が神護寺別院として創建したと伝えるが不詳。 元久元年(1204)、明恵が訪れ、居所とした。 その後、建治年間、槙尾山施福寺の自証が入り、律院として復興。 正応元年(1288)、後宇多上皇から「槙尾山平等心王院」永禄年間、兵火で焼失。神護寺に合併された。
明忍の復興
慶長7年(1602)、明忍が入り復興。江戸時代、宗派を超えて広がる戒律復興運動の震源地となった。東福門院の寄進で伽藍が建てられた(桂昌院寄進という説も)。寺領35石が与えられた。明治維新で律院は廃された。
(日本歴史地名大系、国史大辞典)
組織
歴代
- 1俊正明忍(1576-1610):真言律宗西明寺流の祖。各宗派にまたがる近世戒律復興運動の開祖。京都出身。中原氏。西大寺で学ぶ。晋海の弟子。慧雲蓼海や友尊僧全と意気投合して高山寺で自誓受戒。槙尾西明寺を復興。明に渡ろうと対馬滞在中に客死。対馬海岸寺に墓地。
- 2慧雲蓼海:元は日蓮宗の僧侶。俊正明忍と共に高山寺で自誓受戒。
- 真空了阿