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常陸・西光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年10月28日 (水)
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- | '''西光寺'''(さいこうじ)は、茨城県常陸太田市にある[[二十四輩]][[唯円房]](鳥喰の唯円)ゆかりの[[浄土真宗]] | + | '''西光寺'''(さいこうじ)は、茨城県常陸太田市にある[[二十四輩]][[唯円房]](鳥喰の唯円)ゆかりの[[浄土真宗]]寺院。[[真宗大谷派]]。(参考:同名寺院[[西光寺]]) |
武蔵国猶山の城主だった'''橋本綱宗'''(唯円房、1173-1255)は子を亡くしたことに無常を感じ、城を弟に譲り、[[薬師如来]]を奉じて諸国行脚。常陸国那珂郡鳥喰(茨城県那珂市豊喰)で空き家で一晩を過ごした時に薬師如来が光明を放ち稲田に行くことを命じた。その[[稲田の草庵]]で[[親鸞]]に帰依し'''唯円房'''と称した。親鸞の命を受け、託宣があった鳥喰の地に寺院を創建。当初は'''本泉寺'''と称したが、寛永3年(1626)、[[徳川頼房]]の命で現在地に移転し、'''西光寺'''と称した。 | 武蔵国猶山の城主だった'''橋本綱宗'''(唯円房、1173-1255)は子を亡くしたことに無常を感じ、城を弟に譲り、[[薬師如来]]を奉じて諸国行脚。常陸国那珂郡鳥喰(茨城県那珂市豊喰)で空き家で一晩を過ごした時に薬師如来が光明を放ち稲田に行くことを命じた。その[[稲田の草庵]]で[[親鸞]]に帰依し'''唯円房'''と称した。親鸞の命を受け、託宣があった鳥喰の地に寺院を創建。当初は'''本泉寺'''と称したが、寛永3年(1626)、[[徳川頼房]]の命で現在地に移転し、'''西光寺'''と称した。 |
2015年10月28日 (水) 時点における最新版
西光寺(さいこうじ)は、茨城県常陸太田市にある二十四輩唯円房(鳥喰の唯円)ゆかりの浄土真宗寺院。真宗大谷派。(参考:同名寺院西光寺)
武蔵国猶山の城主だった橋本綱宗(唯円房、1173-1255)は子を亡くしたことに無常を感じ、城を弟に譲り、薬師如来を奉じて諸国行脚。常陸国那珂郡鳥喰(茨城県那珂市豊喰)で空き家で一晩を過ごした時に薬師如来が光明を放ち稲田に行くことを命じた。その稲田の草庵で親鸞に帰依し唯円房と称した。親鸞の命を受け、託宣があった鳥喰の地に寺院を創建。当初は本泉寺と称したが、寛永3年(1626)、徳川頼房の命で現在地に移転し、西光寺と称した。
参考文献
- 今井雅晴監修、2011『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社