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平城京・妙安寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''葛木寺'''(かずらぎでら)は、[[平城京]]にあった[[聖徳太子]]ゆかりの[[古代寺院]]。[[聖徳太子建立七寺]]の一つとされる。[[葛城氏]]の氏寺とも言われる。'''葛城寺'''。
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'''葛木寺'''(かずらぎでら)は、[[平城京]]にあった[[聖徳太子]]ゆかりの[[古代寺院]]。[[聖徳太子建立七寺]]の一つとされる。[[葛城氏]]の氏寺とも言われる。'''葛木尼寺'''。'''葛城寺'''。
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元は[[飛鳥]]の[[豊浦寺]]の西北もしくは西にあったという。橿原市和田の飛鳥時代の古瓦の出土地点が跡地ではないかという。平城京では左京五条六坊五坪にあった。宝亀11年(780)、伽藍が全焼(『続日本紀』)。飛鳥の旧地にも寺院は残ったらしく、[[大和・妙安寺]]がその後身とみられている。(『日本歴史地名大系』)
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元は[[飛鳥]]の[[豊浦寺]]の西北もしくは西にあったという。橿原市和田の飛鳥時代の古瓦の出土地点が跡地ではないかという。平城京では左京五条六坊五坪にあった。宝亀11年(780)、伽藍が全焼(『続日本紀』)。飛鳥の旧地にも寺院は残ったらしく、[[大和・妙安寺]]がその後身とみられている。(『国史大辞典』)
[[category:奈良県]]
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2017年9月7日 (木) 時点における版

葛木寺(かずらぎでら)は、平城京にあった聖徳太子ゆかりの古代寺院聖徳太子建立七寺の一つとされる。葛城氏の氏寺とも言われる。葛木尼寺葛城寺

元は飛鳥豊浦寺の西北もしくは西にあったという。橿原市和田の飛鳥時代の古瓦の出土地点が跡地ではないかという。平城京では左京五条六坊五坪にあった。宝亀11年(780)、伽藍が全焼(『続日本紀』)。飛鳥の旧地にも寺院は残ったらしく、大和・妙安寺がその後身とみられている。(『国史大辞典』)

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