ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

御嶽教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年11月2日 (火)

移動: 案内, 検索
御嶽教

Ontake-kyo-yamato-hongu 07.jpg Ontake D002 御嶽教 木曽大教殿12.jpg
左:御嶽山大和本宮  右:御嶽教 木曽大教殿 歴代管長碑

目次

概要

御嶽教(おんたけきょう)は奈良県奈良市の御嶽山大和本宮に本部を置く木曽御嶽信仰教団教派神道の一つ。本部事務所を大本庁と呼称する。

歴史

施設

歴代

創始者

  • 創祖下山応助

歴代管長

  • (創設者)下山応助()<>:
  • 1平山省斎(1815-1890)<>:大成教管長。御嶽教管長を兼務
  • 2鴻雪爪(1814-1904)<>:元は曹洞宗僧侶。近江・清涼寺住職。東京・金刀比羅宮祠官。俗姓は宮地。
  • 3山科言縄(1835-1916)<>:公卿。
  • 4神宮嵩寿(1849-1921)<1905->:下野国下都賀郡新井村の出身。1849年(嘉永2年)生。1868年(明治1年)上野国高島村天満宮に奉仕。1891年(明治24年)群馬県神職取締神道事務分局長。1895年(明治28年)豊前神社(?)宮司。金刀比羅宮宮司を経て1898年(明治31年)12月、氷川神社宮司。1902年(明治35年)2月、八坂神社宮司。1903年(明治36年)1月9日、日光二荒山神社宮司。1905年(明治38年)3月、御嶽教管長。教団規律の粛清、教学院による人材育成、出版部の設置、海外を視野に入れた布教態勢の整備などの方針を示し、教庁を移転した。諸規則を整備した。一方で木曽御嶽信仰を否定し、「神道宗教」に基づく教説「三太気教」を押し出し、傘下の教会・後者の激しい反発を招いた。川面凡児出口王仁三郎と交流があったという説もある。1921年(大正10年)死去。著編書は『八坂誌』[1]、『礼儀宝典』、『祈祷禁厭神占伝』。(「御嶽教の変容と神道家」ほか)
  • 5神宮徳寿()<>:著書『独習羅典語の研究』。明治大学教授?
  • 6中山忠徳()<>:華族の中山家出身と詐称したことから文部省から解任された。
  • (事務取扱)北村清蔵()<>:
  • (事務取扱)尾前広吉()<>:
  • 7尾前広吉()<>:
  • (事務取扱)岡田栄造()<>:
  • 8渡辺銀治郎()<>:
  • 9渡辺照吉()<>:
  • 10曽宮康之()<>:
  • 11大桃吉雄()<>:
  • 12村鳥邦夫()<>:
  • 13井上慶山()<>:
  • 14北川茂広()<>
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E6%95%99」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール