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愛宕神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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[[愛宕野宮両神社御旅所]]が[[京都・清凉寺]]の近くにある。
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*大宝年間:[[役小角]]が[[泰澄]]と共に登り、朝日峰に神廟を建てた(白雲寺縁起)
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*不詳:丹波国桑田郡国分村にも祀られた
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*不詳:国分村から鷹峰に遷座
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*781年:慶俊が鷹峰から愛宕山に遷座
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*864年5月10日:朝廷、「丹波国正六位上愛当護神」に従五位下。(三代実録)
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*872年11月29日:朝廷、「阿当護神」に従五位上。(三代実録)
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*879年10月24日:朝廷、「阿当護神」に従四位下。(三代実録)
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*880年4月29日:朝廷、「丹波国阿当護山」の「無位雷神」「破無神「に従五位下とある。(三代実録)
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*927年:延喜式神名帳に丹波国桑田郡に「阿多古神社」を記載。
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*982年6月2日:源惟章と源遠理が「愛宕護山」で出家(日本紀略)。
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*987年頃:[[奝然]]、愛宕山に[[延暦寺]]に対抗できるような寺院建立を計画するが果たせず。その意志を継いで弟子が[[嵯峨清凉寺]]を創建。
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*988年:愛宕山に戒壇が設置されるが、延暦寺の訴えで勅が覆る(帝王編年記)
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*1467年:応仁の乱で炎上(経覚私要鈔)
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*1571年:宝蔵院創建
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*1588年8月9日:毛利輝元、参詣。(輝元公御上洛日記)
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*1645年1月24日:焼失。(隔〓記)
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*1690年:修復。
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*1798年4月5日:山火事で焼失(嵯峨誌)
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*1868年:神仏分離
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2023年10月26日 (木) 時点における版

愛宕神社本殿(国土地理院空中写真より)
愛宕神社(国土地理院空中写真より)
愛宕山(国土地理院空中写真より)

愛宕神社(あたご・じんじゃ)は、京都府京都市右京区の愛宕山にある、愛宕信仰の総本社。府社

愛宕野宮両神社御旅所京都・清凉寺の近くにある。


  • 大宝年間:役小角泰澄と共に登り、朝日峰に神廟を建てた(白雲寺縁起)
  • 不詳:丹波国桑田郡国分村にも祀られた
  • 不詳:国分村から鷹峰に遷座
  • 781年:慶俊が鷹峰から愛宕山に遷座
  • 864年5月10日:朝廷、「丹波国正六位上愛当護神」に従五位下。(三代実録)
  • 872年11月29日:朝廷、「阿当護神」に従五位上。(三代実録)
  • 879年10月24日:朝廷、「阿当護神」に従四位下。(三代実録)
  • 880年4月29日:朝廷、「丹波国阿当護山」の「無位雷神」「破無神「に従五位下とある。(三代実録)
  • 927年:延喜式神名帳に丹波国桑田郡に「阿多古神社」を記載。
  • 982年6月2日:源惟章と源遠理が「愛宕護山」で出家(日本紀略)。
  • 987年頃:奝然、愛宕山に延暦寺に対抗できるような寺院建立を計画するが果たせず。その意志を継いで弟子が嵯峨清凉寺を創建。
  • 988年:愛宕山に戒壇が設置されるが、延暦寺の訴えで勅が覆る(帝王編年記)
  • 1467年:応仁の乱で炎上(経覚私要鈔)
  • 1571年:宝蔵院創建
  • 1588年8月9日:毛利輝元、参詣。(輝元公御上洛日記)
  • 1645年1月24日:焼失。(隔〓記)
  • 1690年:修復。
  • 1798年4月5日:山火事で焼失(嵯峨誌)
  • 1868年:神仏分離
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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