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愛知県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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愛知県護国神社(あいちけん・ごこくじんじゃ)は、愛知県名古屋市中区にある、県内の戦没者などを祀る招魂社官祭招魂社内務大臣指定護国神社

目次

歴史

1869年5月、尾張藩主徳川慶勝が戊辰戦争戦没者25柱の霊を名古屋市昭和区川名山に祀って旌忠社と称したのが起源。

1918年、名城公園に、1935年に現在地に遷座した。

組織

受持神官

官祭招魂社制度ができる以前は若宮八幡社の氷室長冬、稲荷神社の安井重恭、川原神社の水谷民彦、島田清江、熱田神宮禰宜の松岡義男(1890年(明治23年)3月20日招魂社祠官を兼務)らが奉仕していた。

  • 副島知一(1874-1959)<1915->:1915年(大正4年)3月、熱田神宮権宮司を本務として受持神官。
  • 鈴木信比古(?-1921)<1915-1921>:伊多波刀神社、若宮八幡社、那古野神社などに奉職。八事神葬墓地を開設。名古屋市神職会会長。1915年(大正4年)9月、受持神官。1921年(大正10年)死去。同年4月の合祀祭は中村弾男が臨時祭務官を勤める。神道人名辞典に記載あり?
  • 浅井久()<1921->:1921年(大正10年)9月1日、受持神官。
  • 小林太十郎()<>:1929年(昭和4年)5月14日、真清田神社宮司が受持神官代行。大県神社宮司。
  • 野々山彬(1876-1942)<1930-1939>:次項参照。

社司・宮司

  • 野々山彬(1876-1942)<1939-1942>:1876年(明治9年)生。1902年(明治35年)12月18日、春木春日神社社掌。1907年(明治40年)6月7日、津賀田神社社司。1930年(昭和5年)3月28日、名古屋官祭招魂社受持神官。1939年(昭和14年)4月1日、愛知県護国神社社司に就任。1942年(昭和17年)12月10日死去。(叙位裁可書。ただし招魂社・護国神社の経歴は神祇院提出の叙位裁可書には記載されていない)
  • 慶光院俊(1974-1985)<1941-1942>:1941年(昭和16年)8月2日、熱田神宮権宮司を本務として社司就任。1942年(昭和17年)3月19日、社司退任。
  • 篠田康雄(1908-1997)<1942->:1942年(昭和17年)3月19日、熱田神宮権宮司を本務として社司を兼務。
  • 井上信彦(1901-1986)<1946-1985>:愛知県西春日井郡出身。1901年(明治34年)生。愛知県神職養成部卒。1919年(大正8年)、熱田神宮雇。宮掌、主典を経て1937年(昭和12年)砥鹿神社禰宜。1941年(昭和16年)、愛知県護国神社社掌。1946年(昭和21年)5月15日宮司就任。名塚町白山社宮司を兼務。1985年(昭和60年)9月1日退任。1986年(昭和61年)○月2日死去。遺稿集『偲び草 愛知県護国神社名誉宮司井上信彦大人命を偲んで』がある。
  • 岩本典三郎(1915-2000)<1985-1999>:1915年(大正4年)生。1985年(昭和60年)9月1日就任。1999年(平成11年)2月28日退任。2000年(平成12年)死去。遺詠集『旌忠歌集―岩本典三郎宮司遺詠』がある。
  • 臼井貞光()<1999-2013>:1999年(平成11年)3月1日宮司就任。2013年(平成25年)8月31日退任。
  • 高羽伸浩()<2013->:2013年(平成25年)9月1日就任。

(愛知県護国神社年表ほか)


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