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慶安寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年4月21日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
慶安寺は鳥取県鳥取市寺町にある池田家・徳川家ゆかりの浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。鳥取藩内で最上位の寺格「四カ寺」(天台大雲院、黄檗興禅寺、臨済龍峰寺、浄土慶安寺)の第四位で、因幡国伯耆国の浄土宗触頭だった。大雲院と共に徳川歴代将軍の位牌所。智光院と号す。
歴史
元は淡路国にあり、専称寺といった。池田輝政室の良正院は1615年(元和1年)京都で死去し、知恩院に葬られた。 池田忠雄は領地の専称寺を母の菩提寺とした。1615年(元和1年)岡山転封と共に専称寺を岡山に移転。1627年(寛永4年)十三回忌にあたり、慶安寺と改称した。池田光仲の鳥取転封で鳥取に移転。1682年(天和2年)焼失。
「八カ寺」の筆頭だったが、1714年(正徳4年)9月28日、将軍徳川家宣の位牌所となり四カ寺の一つとなる。さらに歴代将軍の位牌もまつられた。1722年(享保7年)、200石となった。歴代藩主がたびたび参詣した。1767年(明和4年)、池田宗泰母の真鏡院が死去し埋葬された。1720年(享保5年)の石黒火事で焼失。1793年(寛政5年)本堂再建着手。昭和10年代に真鏡院墓は池田家墓所に改葬。 (日本歴史地名大系)