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日牟礼八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月24日 (木)

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[[ファイル:Himure hachimangu 01.jpg|300px|thumb|日牟礼八幡宮拝殿]]
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|style="background-color:#ededed"|概要
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|応神天皇の近江行在所跡に鎮座する八幡宮。
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|style="background-color:#ededed"|所在地
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|滋賀県近江八幡市宮内町257
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|style="background-color:#ededed"|所在地(旧国郡)
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|近江国蒲生郡
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|style="background-color:#ededed"|社格など
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|県社・別表神社
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|style="background-color:#ededed"|関連記事
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*[[八幡信仰]]
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*[[応神天皇旧跡]]
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35.145174, 136.082254, 八幡山
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かつて「上の社」があった。
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35.136909, 136.08249, 日杉山
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上の社がこの山に遷座する計画だったが果たさなかった。
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'''日牟礼八幡宮'''は、応神天皇の近江行在所跡に鎮座する八幡宮。祭神は「誉田別尊、息長足姫尊、比売神」である(ウェブサイト)。『日本書紀』によると、応神天皇は即位6年2月に近江行幸を行った。『日本書紀』にはそれ以上の記述はないが、社伝によると応神天皇は奥津島神社(現存)に参拝した。このとき、宇津野々辺というところに行在所を設けた。行在所跡に日輪の形を二つ見るという奇瑞があり創建。991年(正暦2年)、改めて[[宇佐八幡宮]]を八幡山上に勧請して「上の社」とし、麓(元の鎮座地あたり)に遥拝所を設けて「下の社」としたという。1590年(天正18年)、豊臣秀次が八幡山に八幡山城を築城するために、「上の社」を「下の社」に合祀した。「上の社」は、日杉山に遷座する予定であったが、豊臣秀次の自害により頓挫した。1876年(明治9年)郷社。1916年(大正5年)県社。1966年(昭和41年)別表神社。(ウェブサイト、『全国八幡神社名鑑』104)
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'''日牟礼八幡宮'''(ひむれ・はちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町(近江国蒲生郡)にある[[八幡宮]]。[[応神天皇]]の近江行在所跡という由緒がある。祭神は「誉田別尊、息長足姫尊、比売神」である(ウェブサイト)。[[県社]]。[[別表神社]]。
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==歴史==
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『日本書紀』によると、応神天皇は即位6年2月に近江行幸を行った。『日本書紀』にはそれ以上の記述はないが、社伝によると応神天皇は[[奥津島神社]](現存)に参拝した。このとき、宇津野々辺というところに行在所を設けた。行在所跡に日輪の形を二つ見るという奇瑞があり創建。991年(正暦2年)、改めて[[宇佐八幡宮]]を八幡山上に勧請して「上の社」とし、麓(元の鎮座地あたり)に遥拝所を設けて「下の社」としたという。1590年(天正18年)、豊臣秀次が八幡山に八幡山城を築城するために、「上の社」を「下の社」に合祀した。「上の社」は、日杉山に遷座する予定であったが、豊臣秀次の自害により頓挫した。1876年(明治9年)郷社。1916年(大正5年)[[県社]]。1966年(昭和41年)[[別表神社]]。(ウェブサイト、『全国八幡神社名鑑』104)
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ファイル:Himure hachimangu 03.jpg|楼門
ファイル:Himure hachimangu 03.jpg|楼門
ファイル:Himure hachimangu 04.jpg|楼門から拝殿
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[[category:個別記事]]
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[[category:滋賀県]]
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2022年2月24日 (木) 時点における最新版

日牟礼八幡宮拝殿


日牟礼八幡宮(ひむれ・はちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町(近江国蒲生郡)にある八幡宮応神天皇の近江行在所跡という由緒がある。祭神は「誉田別尊、息長足姫尊、比売神」である(ウェブサイト)。県社別表神社

歴史

『日本書紀』によると、応神天皇は即位6年2月に近江行幸を行った。『日本書紀』にはそれ以上の記述はないが、社伝によると応神天皇は奥津島神社(現存)に参拝した。このとき、宇津野々辺というところに行在所を設けた。行在所跡に日輪の形を二つ見るという奇瑞があり創建。991年(正暦2年)、改めて宇佐八幡宮を八幡山上に勧請して「上の社」とし、麓(元の鎮座地あたり)に遥拝所を設けて「下の社」としたという。1590年(天正18年)、豊臣秀次が八幡山に八幡山城を築城するために、「上の社」を「下の社」に合祀した。「上の社」は、日杉山に遷座する予定であったが、豊臣秀次の自害により頓挫した。1876年(明治9年)郷社。1916年(大正5年)県社。1966年(昭和41年)別表神社。(ウェブサイト、『全国八幡神社名鑑』104)


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