ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

日興旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年4月17日 (日)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の3版分が非表示)
1行: 1行:
-
鰍沢蓮華寺:生誕の地
+
'''日興'''(にっこう)(1246-1333)は、[[日蓮宗]]の[[日蓮宗の諸師旧跡|僧侶]]。[[日蓮]]高弟の'''六老僧'''の一人。[[日興門流]](富士門流)の開祖。甲斐出身。日蓮没後に他の幹部と対立し、[[身延山]]を離れ、[[富士山]]麓を拠点とする。南条時光の支援を受けて[[大石寺]]、[[北山本門寺]]を創建。'''伯耆阿闍梨'''、'''白蓮阿闍梨'''、'''常在院'''。
-
実相寺
+
 
-
下之坊  
+
1248年(宝治2年)、甲斐国巨摩郡大井庄鰍沢に出生。'''大井橘六'''(光重)の子。幼名は'''蓮華麿'''。岩本[[実相寺]]の播磨律師に師事、'''甲斐公'''と呼ばれる。1258年(正嘉2年)、『立正安国論』執筆のために実相寺に滞在した日蓮に師事して改宗。'''伯耆坊日興'''と名乗った。以後、日蓮に常に随従したという。
-
大石寺
+
 
-
北山本門寺:墓所
+
 
 +
 
 +
== 一覧 ==
 +
*[[甲斐・蓮華寺]]:生誕の地。鰍沢蓮華寺。
 +
*[[実相寺]]
 +
*[[下之坊]]
 +
*[[身延山]][[久遠寺]]
 +
*[[大石寺]]
 +
*[[北山本門寺]]:墓所
 +
 
 +
== 年譜 ==
 +
*1248年(宝治2年)3月8日:誕生。
 +
*1258年(正嘉2年):日蓮に師事。
 +
*1280年(弘安3年)4月:熱原の法難
 +
*1282年(弘安5年)10月8日:六老僧の三位となる。
 +
*1282年(弘安5年)10月13日:日蓮死去。
 +
*1288年(正応1年)12月:兄弟弟子と離別し、身延山を下る。
 +
*1289年(正応2年):富士の地に移る。
 +
*1290年(正応3年):大石寺創建。
 +
*1293年(永仁1年)2月:北山本門寺を創建し移る。
 +
*1333年(元弘3年/正慶2年)2月7日:北山本門寺本坊で死去。
 +
 
 +
 
[[category:人物旧跡]]
[[category:人物旧跡]]

2016年4月17日 (日) 時点における最新版

日興(にっこう)(1246-1333)は、日蓮宗僧侶日蓮高弟の六老僧の一人。日興門流(富士門流)の開祖。甲斐出身。日蓮没後に他の幹部と対立し、身延山を離れ、富士山麓を拠点とする。南条時光の支援を受けて大石寺北山本門寺を創建。伯耆阿闍梨白蓮阿闍梨常在院

1248年(宝治2年)、甲斐国巨摩郡大井庄鰍沢に出生。大井橘六(光重)の子。幼名は蓮華麿。岩本実相寺の播磨律師に師事、甲斐公と呼ばれる。1258年(正嘉2年)、『立正安国論』執筆のために実相寺に滞在した日蓮に師事して改宗。伯耆坊日興と名乗った。以後、日蓮に常に随従したという。


一覧

年譜

  • 1248年(宝治2年)3月8日:誕生。
  • 1258年(正嘉2年):日蓮に師事。
  • 1280年(弘安3年)4月:熱原の法難
  • 1282年(弘安5年)10月8日:六老僧の三位となる。
  • 1282年(弘安5年)10月13日:日蓮死去。
  • 1288年(正応1年)12月:兄弟弟子と離別し、身延山を下る。
  • 1289年(正応2年):富士の地に移る。
  • 1290年(正応3年):大石寺創建。
  • 1293年(永仁1年)2月:北山本門寺を創建し移る。
  • 1333年(元弘3年/正慶2年)2月7日:北山本門寺本坊で死去。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E8%88%88%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール