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春日信仰
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
春日信仰 |
目次 |
概要
春日信仰は、春日神に対する信仰である。春日神の主たる性格は、藤原氏の祖神・氏神であることである。 総本社は、春日大社である。またその元となった神社として、枚岡神社、鹿島神宮、香取神宮がある。
歴史
信仰
春日信仰のパンテオン
春日四神
春日若宮
- 天押雲根命
「若宮御根本縁」によると、春日若宮が出現したのは長保5年(1003)年3月3日。春日四殿(比売神)の板敷から「心太(ところてん)」のようなものが3升ほど出てきて、やがてその中から5寸ほどの蛇が出現したという。春日三殿(天児屋根命)と比売神の御子神とされ、しばらくは二殿と三殿の間の「獅子の間」に祀られてきた。 およそ130年後の保延元年(1135)に関白藤原忠通が万民救済のために現在地に社殿を造営し、若宮神社が成立した。翌年、若宮おん祭が創始され、現代まで続いている。
清水健や永島福太郎によると、若宮社の創建とおん祭の創始には興福寺が深く関わっており、興福寺は本地垂迹説の興隆に乗じて、春日社支配を強めたとされる。若宮社の創建とおん祭の創始は興福寺による春日社支配の試みの一環であるという。興福寺は10世紀ごろから春日社支配を進め、藤原氏の氏長者の御願による春日社での興福寺僧の法会が増加し、春日社の神威を利用して神木動座の強訴なども行った。春日社の祭祀権を手中に収めるためにおん祭を創始し、興福寺が祭礼を取り仕切ったと考えられている。若宮の御旅所は興福寺旧境内の東端にあたり、おん祭を通じて春日社支配を強めようとした興福寺の姿勢が伺われる。
若宮の本地仏は文殊菩薩とされる。本地仏としての文殊菩薩を礼拝するために制作された春日文殊曼荼羅も伝存している。春日若宮は本社の四神と並んで重視され、宮曼荼羅や鹿曼荼羅にも必ず若宮が描かれる。
一説によると春日若宮の荒魂として現れたのが春日赤童子だという。
その他の神々
- 春日赤童子
- 神鹿
- 榎本神
- 中臣祐房:通合神社祭神。
春日信仰の美術
- 春日宮曼荼羅
- 春日社寺曼荼羅
- 春日本地仏曼荼羅
- 春日垂迹曼荼羅
- 春日本迹曼荼羅
- 春日鹿曼荼羅
- 春日名号曼荼羅
- 春日神鹿御正体
- 鹿島立神影図