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春日信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2013年12月13日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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春日信仰 

目次

概要

春日信仰は、春日神に対する信仰である。春日神の主たる性格は、藤原氏の祖神・氏神であることである。 総本社は、春日大社である。またその元となった神社として、枚岡神社鹿島神宮香取神宮がある。


歴史

信仰

春日信仰のパンテオン

春日四神

  • 第1殿:武甕槌命:釈迦如来または不空羂索観音
  • 第2殿:経津主命:薬師如来
  • 第3殿:天児屋根命:地蔵菩薩
  • 第4殿:比売神:十一面観音

春日明神は奈良の在地の神ではなく、春日大社も神々を合祀する形で「人工的に」建てられた神社である。

武甕槌命は常陸国鹿島神宮の祭神であり、経津主命は下総国香取神社の祭神である。天児屋根命と比売神は河内国枚岡神社の祭神である。中臣氏発祥の地は諸説あるが、一説には常陸国であり、鹿島神宮を氏神(氏族として信仰する神)としていたという。香取神宮は鹿島神宮と対になる神であり、ともに戦の神である。天児屋根命は中臣氏の始祖神である。奈良に都ができた時に中臣氏がゆかりの神々を合祀して成立した。

当初は武甕槌命が主祭神であったが、次第に藤原氏の始祖神として天児屋根命が重視されるようになったようである。

平城京から長岡京に遷都すると春日神を祀る大原野神社が建てられ、平安京に遷都すると吉田神社が建てられ、藤原氏の守護神として崇敬された。

伊勢・八幡とともに三社託宣の神の1神とされ、「慈悲」を司る神とされた。

春日野地獄


興福寺南円堂の本尊が不空羂索観音であり、藤原北家の南円堂重視の姿勢と、不空羂索観音がまとう鹿皮との関連からも武甕槌命と結び付けられて、本地仏とされた。

春日若宮

  • 天押雲根命

「若宮御根本縁」によると、春日若宮が出現したのは長保5年(1003)年3月3日。春日四殿(比売神)の板敷から「心太(ところてん)」のようなものが3升ほど出てきて、やがてその中から5寸ほどの蛇が出現したという。春日三殿(天児屋根命)と比売神の御子神とされ、しばらくは二殿と三殿の間の「獅子の間」に祀られてきた。 およそ130年後の保延元年(1135)に関白藤原忠通が万民救済のために現在地に社殿を造営し、若宮神社が成立した。翌年、若宮おん祭が創始され、現代まで続いている。

清水健や永島福太郎によると、若宮社の創建とおん祭の創始には興福寺が深く関わっており、興福寺は本地垂迹説の興隆に乗じて、春日社支配を強めたとされる。若宮社の創建とおん祭の創始は興福寺による春日社支配の試みの一環であるという。興福寺は10世紀ごろから春日社支配を進め、藤原氏の氏長者の御願による春日社での興福寺僧の法会が増加し、春日社の神威を利用して神木動座の強訴なども行った。春日社の祭祀権を手中に収めるためにおん祭を創始し、興福寺が祭礼を取り仕切ったと考えられている。若宮の御旅所は興福寺旧境内の東端にあたり、おん祭を通じて春日社支配を強めようとした興福寺の姿勢が伺われる。

若宮の本地仏は文殊菩薩とされる。本地仏としての文殊菩薩を礼拝するために制作された春日文殊曼荼羅も伝存している。春日若宮は本社の四神と並んで重視され、宮曼荼羅や鹿曼荼羅にも必ず若宮が描かれる。

一説によると春日若宮の荒魂として現れたのが春日赤童子だという。

その他の神々

春日本迹曼荼羅(宝山寺本)には春日四神、若宮のほか、率河社、水谷社、氷室社、一言主社、榎本社が描かれている。以上がゆかり深い神々と考えられる。

  • 榎本神

春日野の地主神で、延喜式神名帳に「春日神社」とあるのはこの神社という。現在は猿田彦神とされる。 榎本神は、春日野の土地を支配していたが、春日明神から「この土地を3尺(1m)ほど貸してください」と頼まれた。榎本神は耳が悪く、よく確かめずに承諾してしまった。実は「3尺」とは地下3尺のことであり、春日明神は地下1mまで春日野の土地を借りきってしまった。今では春日大社の本社を囲む回廊に間借りしている。本地仏は毘沙門天とされる。


  • 春日赤童子

法相宗の護法童子。密教での不動明王の眷属・制多迦童子がモデルとなったと考えられている。岩座の上に忿怒相・赤身の童子が右手で杖を持ち、左手で頬杖を突く姿で描かれる。春日明神が法相宗を擁護するときの姿と言われるが、春日若宮の荒魂とも言われる。若宮おん祭での「馬長児僧位僧官授与式」では赤童子の御前で行われる。

  • 神鹿

春日神の神使。四神のうち、特に武甕槌命の神使。武甕槌命が常陸国の鹿島神宮から鹿に乗って大和国まで神幸したとされていることにちなむ。この伝説に因み、春日鹿曼荼羅を始めとして、春日信仰では鹿を描くことが多い。神鹿御正体や神鹿舎利容器など、鹿が造形として表現されることも多い。また各地の春日神社には狛犬の代わりに神鹿が据えられることがある。春日大社では鹿苑が設けられ、鹿が飼われている。亡くなった鹿を埋葬する鹿塚がある。また釈迦が悟りを開いてから初めての説法(初転法輪)が鹿を相手に行ったとも言われ、興福寺の本尊や武甕槌命の本地仏が釈迦如来であることと関係しているようにも思えるがどうだろうか。


  • 中臣祐房

若宮神主の始祖。若宮神社の脇の通合神社に祀られている。

春日信仰の美術

  • 春日宮曼荼羅
  • 春日社寺曼荼羅
  • 春日本地仏曼荼羅
  • 春日垂迹曼荼羅
  • 春日本迹曼荼羅
  • 春日鹿曼荼羅
  • 春日名号曼荼羅
  • 春日神鹿御正体
  • 鹿島立神影図

系譜

画像

参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5%E4%BF%A1%E4%BB%B0」より作成

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