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景愛寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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室町時代に廃絶。跡地に[[無学寺]]がある。江戸時代には寺はなくなったが、尼門跡の[[大聖寺]]と[[宝鏡寺]]が交代で景愛寺長老の職を務めたという。 | 室町時代に廃絶。跡地に[[無学寺]]がある。江戸時代には寺はなくなったが、尼門跡の[[大聖寺]]と[[宝鏡寺]]が交代で景愛寺長老の職を務めたという。 | ||
寺宝は塔頭の[[宝慈院門跡]]に移されたという。 | 寺宝は塔頭の[[宝慈院門跡]]に移されたという。 | ||
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2018年8月5日 (日) 時点における版
景愛寺(けいあいじ)は、京都にあった臨済宗寺院。京都尼五山第一位。
目次 |
歴史
建治3年(1277)、理宝の発願で、臨済宗尼僧の無外如大が創建。無外如大は無学祖元に師事。創建には高峰顕日も協力したという。多くの末寺を擁し、景愛寺派を形成した。 室町時代に廃絶。跡地に無学寺がある。江戸時代には寺はなくなったが、尼門跡の大聖寺と宝鏡寺が交代で景愛寺長老の職を務めたという。 寺宝は塔頭の宝慈院門跡に移されたという。
組織
住職
長老と称した。
- 1無外如大(1223-1298):安達泰盛の娘。北条顕時の側室。無学祖元に師事。臨済宗初の正式な尼僧。松見寺開山ともされる。無着ともいう。墓所は真如寺正脈院。
- 2玉巌悟心(生没年不詳):西園寺実衡の孫娘。大聖寺門跡2世。
- 6華林恵厳女王(生没年不詳):光厳天皇皇女。夢窓疎石に師事した。宝鏡寺門跡1世。
- 久巌理昌女王(1631-1656):後水尾天皇皇女。宝鏡寺門跡20世。
- 義山理忠女王(1641-1689):後水尾天皇皇女。宝鏡寺門跡21世。
- 徳巌理豊女王(1672-1745):後西天皇皇女。宝鏡寺門跡22世。
- 俊巌永秀女王(1677-1725):霊元天皇皇女。大聖寺門跡。
- 逸巌理秀女王(1725-1764):中御門天皇皇女。宝鏡寺門跡23世。