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本証寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年3月22日 (金)

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'''本証寺'''(ほんしょうじ)は、愛知県安城市にある[[浄土真宗]]寺院。元は[[和田門徒]]の拠点の一つでのち三河[[一向一揆]]の拠点となった。[[勝鬘寺]]、[[三河・上宮寺]]と共に三河三カ寺とされ、[[本宗寺]]も加えて[[徳川家康]]軍と戦った。堀を備え、砦のような構えとなっていて、現在も内堀が残る。外堀の跡も見つかっている。慶円が親鸞に帰依して創建したと伝える。美濃尾張まで勢力を拡大したがのち蓮如に帰参して本願寺教団に加わった。[[真宗大谷派]]。通称は'''野寺本坊'''。山号は雲龍山。(国史大辞典)
'''本証寺'''(ほんしょうじ)は、愛知県安城市にある[[浄土真宗]]寺院。元は[[和田門徒]]の拠点の一つでのち三河[[一向一揆]]の拠点となった。[[勝鬘寺]]、[[三河・上宮寺]]と共に三河三カ寺とされ、[[本宗寺]]も加えて[[徳川家康]]軍と戦った。堀を備え、砦のような構えとなっていて、現在も内堀が残る。外堀の跡も見つかっている。慶円が親鸞に帰依して創建したと伝える。美濃尾張まで勢力を拡大したがのち蓮如に帰参して本願寺教団に加わった。[[真宗大谷派]]。通称は'''野寺本坊'''。山号は雲龍山。(国史大辞典)
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[[寺領廃寺]]に近い。
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==歴史==
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*1200年(正治2年):慶円が幡豆郡小島村醍醐山(愛知県西尾市)に一宇を建立。
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*1207年(承元1年):慶円が親鸞に帰依。本証寺を創建したという。
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*寛政年間:蓮如に帰依。
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*1468年(応仁2年):蓮如が六字名号を下付
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*1549年(天文18年):門徒連判状に武士門徒115人が初名
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*1562年(永禄5年):玄海が加賀で戦死。空誓が入寺。三河本願寺教団の中心的地位を占める。
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*1563年(永禄6年):三河一向一揆。徳川家康軍と交戦。
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*1564年(永禄7年):徳川家康に敗退。追放される。足助に移る
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*1583年(天正11年):三河本願寺門徒集団が赦免される。
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*1585年(天正13年):赦免され旧地に復興
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*1601年(慶長6年):徳川幕府、寺領を安堵。
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*1604年(慶長9年):本願寺の東西分裂で東本願寺に付く。寺領69石を安堵。以降、三河の中本山、触頭の地位を確立。
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*1663年(寛文3年)頃:本堂再建。
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*1703年(元禄16年)頃:鐘楼再建。
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*1760年(宝暦10年):鼓楼再建。
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*宝暦年間:水口藩加藤家が宮殿を寄進。
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*1823年(文政6年):経蔵建立。
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*1830年(天保1年):庫裏再建。
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*慶応年間:この頃、三河など9国と江戸に200寺以上の末寺を持っていた。
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*1891年(明治24年):濃尾地震被災。
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*1944年(昭和19年):東南海地震被災。
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*1945年(昭和20年):三河地震被災。
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*1959年(昭和34年):県史跡指定
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*1997年(平成9年):本堂修復
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*2015年(平成27年):国史跡指定
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==境内==
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戦国時代以来の城郭伽藍の遺構を伝える。
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*本堂:愛知県内でも現存最古級。
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*太子堂:廃絶。
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*庫裏:「最も発展した真宗庫裏」と評価される。
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*経蔵
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*所化寮:廃絶
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==子院==
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「寺中」「地中」「角寺」などと呼ばれた。
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*宗玄寺:廃絶か。
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*金龍寺:廃絶か。
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*照護寺:廃絶か。
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*善証寺:現存。
==組織==
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===歴代住職===
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(真宗年表より)
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*1:慶円()<>:兼光。1272年(文永9年)1月3日死去。
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*1:慶円()<>:俗名は小山兼光。下野小山領主の小山朝政の次男とされる。親鸞に帰依。1272年(文永9年)1月3日死去。
*2:慶心()<>:1300年(正安2年)8月21日死去。
*2:慶心()<>:1300年(正安2年)8月21日死去。
*3:慶西()<>:1323年(元亨3年)2月9日死去。
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*7:空円()<>:1503年(文亀3年)9月10日死去。
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*8:賢正()<>:1529年(享禄2年)5月7日死去。
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*9:玄海()<>:1562年(永禄5年)4月6日死去。
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*9:玄海()<>:加賀一向一揆で戦死。1562年(永禄5年)4月6日死去。
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*10:空誓()<>:1614年(慶長19年)7月5日死去。
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*10:空誓()<>:[[蓮如]]の曾孫。父は[[慈敬寺]]実誓。1614年(慶長19年)7月5日死去。
*11:覚誓()<>:1657年(明暦3年)4月23日死去。
*11:覚誓()<>:1657年(明暦3年)4月23日死去。
*12:教寿()<>:卜看。1664年(寛文4年)11月23日死去。
*12:教寿()<>:卜看。1664年(寛文4年)11月23日死去。
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*小山正文(1941-)<>:1941年(昭和16年)生。大谷大学卒。同大学院単位取得退学。真宗大谷派擬講。同朋大学仏教文化研究所客員所員。
*小山正文(1941-)<>:1941年(昭和16年)生。大谷大学卒。同大学院単位取得退学。真宗大谷派擬講。同朋大学仏教文化研究所客員所員。
*小山興円()<>:
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==資料==
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*本證寺伽藍絵図:寛政年間
[[Category:愛知県]]
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2024年3月22日 (金) 時点における最新版

本証寺(ほんしょうじ)は、愛知県安城市にある浄土真宗寺院。元は和田門徒の拠点の一つでのち三河一向一揆の拠点となった。勝鬘寺三河・上宮寺と共に三河三カ寺とされ、本宗寺も加えて徳川家康軍と戦った。堀を備え、砦のような構えとなっていて、現在も内堀が残る。外堀の跡も見つかっている。慶円が親鸞に帰依して創建したと伝える。美濃尾張まで勢力を拡大したがのち蓮如に帰参して本願寺教団に加わった。真宗大谷派。通称は野寺本坊。山号は雲龍山。(国史大辞典) 寺領廃寺に近い。

目次

歴史

  • 1200年(正治2年):慶円が幡豆郡小島村醍醐山(愛知県西尾市)に一宇を建立。
  • 1207年(承元1年):慶円が親鸞に帰依。本証寺を創建したという。
  • 寛政年間:蓮如に帰依。
  • 1468年(応仁2年):蓮如が六字名号を下付
  • 1549年(天文18年):門徒連判状に武士門徒115人が初名
  • 1562年(永禄5年):玄海が加賀で戦死。空誓が入寺。三河本願寺教団の中心的地位を占める。
  • 1563年(永禄6年):三河一向一揆。徳川家康軍と交戦。
  • 1564年(永禄7年):徳川家康に敗退。追放される。足助に移る
  • 1583年(天正11年):三河本願寺門徒集団が赦免される。
  • 1585年(天正13年):赦免され旧地に復興
  • 1601年(慶長6年):徳川幕府、寺領を安堵。
  • 1604年(慶長9年):本願寺の東西分裂で東本願寺に付く。寺領69石を安堵。以降、三河の中本山、触頭の地位を確立。
  • 1663年(寛文3年)頃:本堂再建。
  • 1703年(元禄16年)頃:鐘楼再建。
  • 1760年(宝暦10年):鼓楼再建。
  • 宝暦年間:水口藩加藤家が宮殿を寄進。
  • 1823年(文政6年):経蔵建立。
  • 1830年(天保1年):庫裏再建。
  • 慶応年間:この頃、三河など9国と江戸に200寺以上の末寺を持っていた。
  • 1891年(明治24年):濃尾地震被災。
  • 1944年(昭和19年):東南海地震被災。
  • 1945年(昭和20年):三河地震被災。
  • 1959年(昭和34年):県史跡指定
  • 1997年(平成9年):本堂修復
  • 2015年(平成27年):国史跡指定


境内

戦国時代以来の城郭伽藍の遺構を伝える。

  • 本堂:愛知県内でも現存最古級。
  • 太子堂:廃絶。
  • 庫裏:「最も発展した真宗庫裏」と評価される。
  • 経蔵
  • 所化寮:廃絶

子院

「寺中」「地中」「角寺」などと呼ばれた。

  • 宗玄寺:廃絶か。
  • 金龍寺:廃絶か。
  • 照護寺:廃絶か。
  • 善証寺:現存。

組織

歴代住職

(真宗年表より)

  • 1:慶円()<>:俗名は小山兼光。下野小山領主の小山朝政の次男とされる。親鸞に帰依。1272年(文永9年)1月3日死去。
  • 2:慶心()<>:1300年(正安2年)8月21日死去。
  • 3:慶西()<>:1323年(元亨3年)2月9日死去。
  • 4:慶海()<>:1371年(建徳2年/応安4年)1月14日死去。
  • 5:浄心()<>:1422年(応永29年)3月8日死去。
  • 6:光存()<>:1460年(寛正1年)6月20日死去。
  • 7:空円()<>:1503年(文亀3年)9月10日死去。
  • 8:賢正()<>:1529年(享禄2年)5月7日死去。
  • 9:玄海()<>:加賀一向一揆で戦死。1562年(永禄5年)4月6日死去。
  • 10:空誓()<>:蓮如の曾孫。父は慈敬寺実誓。1614年(慶長19年)7月5日死去。
  • 11:覚誓()<>:1657年(明暦3年)4月23日死去。
  • 12:教寿()<>:卜看。1664年(寛文4年)11月23日死去。
  • 13:真誓()<>:寛永某年7月24日死去。
  • 14:敬誓()<>:秀政。1730年(享保15年)4月19日死去。
  • 15:円誓()<>:秀興。1745年(延享2年)2月6日死去。
  • 16:賢誓()<>:秀連。1770年(明和7年)5月29日死去。
  • 17:慶誓()<>:1807年(文化4年)7月2日死去。
  • 18:達誓()<>:1845年(弘化2年)9月2日死去。
  • 19:達円()<>:1834年(天保5年)1月17日死去。
  • 20:小山達誉()<>:秀恕。1891年(明治24年)2月14日死去。
  • 21:小山厳秀()<>:1922年(大正11年)2月20日死去。
  • 22:小山彰円()<>:
  • 小山正文(1941-)<>:1941年(昭和16年)生。大谷大学卒。同大学院単位取得退学。真宗大谷派擬講。同朋大学仏教文化研究所客員所員。
  • 小山興円()<>:


資料

  • 本證寺伽藍絵図:寛政年間
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%AC%E8%A8%BC%E5%AF%BA」より作成

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