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三河・上宮寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年12月31日 (金)

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上宮寺(じょうぐうじ)は、愛知県岡崎市にある三河一向一揆の拠点となった浄土真宗寺院。勝鬘寺本証寺と共に三河三カ寺とされ、本宗寺も加えて徳川家康軍と戦った。三河七箇寺の一つ。真宗大谷派佐々木上宮寺。聖徳皇院と号す。山号は太子山。(参考:同名寺院上宮寺

598年(推古6年)聖徳太子が巡教の際に自作の太子像と阿弥陀如来像を祀った。701年(大宝1年)元興寺道空が堂宇を建てた。のち比叡山延暦寺善林坊の源智という僧が伽藍を造営し、天台宗寺院としたという。 蓮行1235年(嘉禎1年)(1232年(貞永1年)とも)、柳堂親鸞に帰依。その弟子の佐々木盛綱は蓮願と称して上宮寺を継ぎ、住職家の祖となる。 当初は和田門徒系だったが、1461年(寛正2年)以前には本願寺に属し、如光は蓮如の側近の重鎮として本願寺教団を支え、1465年(寛正6年)の延暦寺からの弾圧でも活躍した。1484年(文明16年)時点で三河64寺、尾張41寺の末寺を擁した(如光弟子帳)。

1563年(永禄6年)の三河一向一揆では徳川家康と戦う。 1564年(永禄7年)2月28日、家康に降伏して和睦を結び、長島に逃れた。1574年(天正2年)長島一向一揆で敗れた。 1585年(天正13年)10月28日、徳川家康から復帰を認められ、三河国全国の真宗の取り纏め役となった。 1587年(天正15年)9月、教如が訪問。 明和年間、本堂再建。 近代には仏教学者佐々木月樵を出す。

組織

歴代住職

(真宗年表による。ただし如順とあるのは如光の誤りとみなした。また世数については保留)

  • 蓮行(?-1233)<>:23世とも24世ともいう。三河柳堂親鸞に帰依したという。1233年(天福1年)11月3日死去か。親鸞に帰依したのは1235年(嘉禎1年)ともいう。
  • 蓮願(?-1244)<>:佐々木盛綱。源頼朝の家臣という。西念。蓮行の弟子。実際は妙源寺念信の弟子と考えられる。1244年(寛元2年)6月12日死去と伝える。
  • 蓮智(?-1264)<>:1264年(文永1年)死去。
  • 順如()<>:
  • 如秀(?-1345)<>:1345年(興国6年/貞和1年)死去。
  • 如玄(?-1362)<>:1362年(正平17年/貞治1年)死去。
  • 如全(?-1417)<>:1417年(応永24年)4月10日死去。1421年(応永28年)死去とも。
  • 如光(1417-1468)<>:中興。1417年(応永24年)生。「油ケ淵」から出現。龍神の子という。蓮如を支えた。1468年(応仁2年)11月1日死去。油ケ淵近くの応仁寺如光堂がある。
  • 如順尼(?-1471)<>:1471年(文明3年)8月24日死去。如光の妻。俗名は角殿。
  • 如慶尼(?-1528)<>:如光と如順尼の娘。1473年(文明5年)生(?)。1528年(享禄1年)1月25日死去。56歳。
  • 如舜(?-1526)<>:蓮如の孫。幼名は幸寿丸。1526年(大永6年)8月26日死去。
  • 勝祐(1503-1574)<>:勝鬘寺了勝の弟。1503年(文亀3年)生。1563年(永禄6年)からの三河一向一揆に参戦。敗退後は長島に籠城。1574年(天正2年)9月30日、苅安賀の専称坊で戦死。72歳。
  • 信祐(1542-1574)<>:1542年(天文11年)生。三河一向一揆敗退後は長島一向一揆に参戦。1574年(天正2年)9月30日、苅安賀の専称坊で戦死。33歳。
  • 尊祐(1563-1604)<>:信祐の子。本願寺の血を引くとも。1563年(永禄6年)生。幼名は幸松丸。1575年(天正3年)1月13日得度。1604年(慶長9年)9月14日死去。円光院と号す。
  • 教祐(1586-1662)<>:1586年(天正14年)生。幼名は幸珍丸。1596年(慶長1年)得度して院家となる。1662年(寛文2年)死去。83歳。円明院と号す。
  • 了祐(1620-1678)<>:教祐の次男。尾張円明寺住職。1620年(元和6年)生。1678年(延宝6年)12月16日死去。永昌院と号す。
  • 如祐(?-1727)<>:1727年(享保12年)8月8日死去。幽玄院と号す。
  • 一祐(?-1731)<>:1731年(享保16年)7月9日死去。
  • 真祐(?-1757)<>:1757年(宝暦7年)5月24日死去。幽栖院と号す。
  • 従祐(?-1788)<>:盛幸。1788年(天明8年)9月14日死去。徳風院と号す。
  • 乗祐(?-1790)<>:次盛。1790年(寛政2年)3月12日死去。徳達院と号す。
  • 乗繁(?-1826)<>:1826年(文政9年)7月27日死去。昌善院と号す。
  • 佐々木達義(?-1871)<>:1871年(明治4年)2月14日死去。速証院と号す。
  • 佐々木厳祐(?-1892)<>:1892年(明治25年)8月17日死去。
  • 佐々木現祐(?-1935)<>:1935年(昭和10年)12月20日死去。
  • 佐々木月樵(1875-1926)<>:仏教学者。安城願力寺の出身。1875年(明治8年)生。1892年(明治25年)得度。1898年(明治31年)上宮寺に入る。1900年(明治33年)真宗大学卒業。浩々洞を立ち上げる。1906年(明治39年)真宗大学研究院卒。同年、真宗大学教授。1907年(明治40年)擬講。1917年(大正6年)上宮寺副住職。1918年(大正7年)嗣講。1921年(大正10年)沢柳政太郎らとヨーロッパ視察。1924年(大正13年)1月8日、大谷大学学長。1926年(昭和1年)3月6日死去。52歳。前日付で講師の号を授与。真教院と号す。
  • 佐々木宣祐()<>:2019年(令和1年)上宮寺住職。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E3%83%BB%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E5%AF%BA」より作成

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