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本願寺赤野井別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | 暦応年間(1338-1342)、[[存覚]]が創建したと伝える(異本反古裏書)。 | |
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- | 本願寺の東西分裂では[[西本願寺]] | + | 本願寺の東西分裂では[[西本願寺]]に付いたが、御堂を管理する一人だった専念寺の伊賀坊了誓が離れて別に御堂を建てた。これが[[真宗大谷派赤野井別院]]の起源という見方もある。 |
近世には顕証寺通寺などと呼ばれた。 | 近世には顕証寺通寺などと呼ばれた。 | ||
1757年(宝暦7年)本堂再建。 | 1757年(宝暦7年)本堂再建。 |
2020年11月28日 (土) 時点における版
本願寺赤野井別院(ほんがんじ・あかのい・べついん)は滋賀県守山市赤野井町にある浄土真宗寺院。西本願寺の別院・御坊。浄土真宗本願寺派。寺号は顕証寺。赤野井御坊。(参考:同名寺院赤野井別院・顕証寺)
歴史
暦応年間(1338-1342)、存覚が創建したと伝える(異本反古裏書)。 文正年間(1466-1467)、専念寺観教が土地を蓮如に寄進して存覚の旧跡を復興したと伝える。 顕証寺蓮淳が兼務した。1464年(寛正5年)5月14日蓮如から赤野井惣門徒へ下付の親鸞絵伝があり、地域の門徒を中心に創立されたものとみられる。
本願寺の東西分裂では西本願寺に付いたが、御堂を管理する一人だった専念寺の伊賀坊了誓が離れて別に御堂を建てた。これが真宗大谷派赤野井別院の起源という見方もある。 近世には顕証寺通寺などと呼ばれた。 1757年(宝暦7年)本堂再建。
(日本歴史地名大系)