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村上義光墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 奈良県吉野郡吉野町にある[[南朝]] | + | 奈良県吉野郡吉野町にある[[南朝]]忠臣の村上義光(?-1333)の墓。[[宝篋印塔]]がある。[[金峰山寺]]蔵王堂の西北1.3kmにある。[[吉野神宮]]と吉野山駐車場の中間にある。近くには峰の薬師堂があったという。 |
- | + | 村上義日とも。従五位下左馬権頭。 | |
+ | 太平記によると1333年閏2月1日、村上義光は護良親王を吉野山から逃すために、親王の鎧を着て「護良親王である」と名乗り敵を撹乱し、親王の身代わりとなって金峰山寺二天門で討死したという。 | ||
+ | 首がこの地に打ち捨てられ、塚が建てられたという。 | ||
高取藩士内藤景文撰文の忠烈碑が宝篋印塔の傍に1783年10月に建てられた。 | 高取藩士内藤景文撰文の忠烈碑が宝篋印塔の傍に1783年10月に建てられた。 | ||
+ | 従三位を追贈。 | ||
+ | なお神奈川県鎌倉市の[[鎌倉宮]]に村上義光を祀る[[村上社]]がある。 | ||
+ | (『日本歴史地名大系』) | ||
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2020年7月3日 (金) 時点における版
奈良県吉野郡吉野町にある南朝忠臣の村上義光(?-1333)の墓。宝篋印塔がある。金峰山寺蔵王堂の西北1.3kmにある。吉野神宮と吉野山駐車場の中間にある。近くには峰の薬師堂があったという。
村上義日とも。従五位下左馬権頭。 太平記によると1333年閏2月1日、村上義光は護良親王を吉野山から逃すために、親王の鎧を着て「護良親王である」と名乗り敵を撹乱し、親王の身代わりとなって金峰山寺二天門で討死したという。 首がこの地に打ち捨てられ、塚が建てられたという。 高取藩士内藤景文撰文の忠烈碑が宝篋印塔の傍に1783年10月に建てられた。 従三位を追贈。 なお神奈川県鎌倉市の鎌倉宮に村上義光を祀る村上社がある。 (『日本歴史地名大系』)