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東長寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月12日 (金)
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- | '''東長寺''' | + | '''東長寺'''(とうちょうじ)は、福岡県福岡市博多区御供所町にある[[真言宗]]の[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[千手観音]]。[[空海]]が帰国後、最初に建てた[[密教]]寺院という。[[真言宗九州教団]]別格本山。元は[[真言宗御室派]]で、[[仁和寺]]末の筑前国触頭だった。福岡藩[[黒田家]]の菩提寺。[[櫛田神社]]の別当だった。'''福岡大仏'''がある。'''宝持院'''。'''東長蜜寺'''。'''東長密寺'''。通称は'''大師堂'''。山号は南岳山。 |
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+ | ==歴史== | ||
+ | 806年(大同1年)、唐から博多に帰着した[[空海]]が最初に創建。独鈷杵と[[仏舎利]]を納め、自刻の[[不動明王]]を祀った。 | ||
+ | はじめ博多海辺にあった。元弘の変の兵火に焼失。志摩郡志登村に移転。3年後に旧地に再建。 | ||
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+ | 2代藩主黒田忠之が帰依し、再建。1648年(慶安1年)100石を寄進。慶安893年(寛平5年)200石に加増。黒田忠之の没後はその墓所となった。1707年(宝永4年)、3代藩主黒田光之も父の菩提のために100石を追加で寄進し300石となった。福岡藩[[黒田家]]の上席寺院五カ寺の一つ。 | ||
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+ | たびたび境内拡張され1717年(享保2年)に完成。 | ||
+ | 正徳年間、照海、[[仁和寺門跡]]の[[院家]]明応院となる(石城志[https://books.google.co.jp/books?id=gQANS56DlgQC&pg=PP129])。のち龍巌院、鳳巌院、恵明院と改められた? | ||
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+ | 1779年(安永8年)仁和寺末から筑前国真言宗の総録職(触頭)に任命された。 | ||
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+ | 櫛田神社の「座主坊」だったという。 | ||
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+ | 1948年(昭和23年)5月、独立して[[真言宗九州教団]]を設立した。 | ||
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+ | ==伽藍== | ||
+ | *本堂: | ||
+ | *大師堂: | ||
+ | *大仏殿: | ||
+ | *六角堂:末寺の神護寺から移転した。 | ||
+ | *五重塔: | ||
+ | *護摩堂:廃絶か。 | ||
+ | *大日堂:廃絶か。 | ||
+ | *黒田忠之墓: | ||
+ | *黒田光之墓: | ||
+ | *黒田治高墓: | ||
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+ | ==子院・末寺== | ||
+ | *本願院:昔は[[櫛田神社]]内にあったという。 | ||
+ | *成就院:山号は綱輪山。綱輪天満宮 | ||
+ | *神護寺:山号は袖湊山。庚申堂 | ||
+ | *明厳院:[[修験道]]総録司。 | ||
+ | *智足庵: | ||
+ | *金剛坊: | ||
+ | *遍照院:現在は糟屋郡篠栗町篠栗に移転。 | ||
+ | *入定寺: | ||
+ | ==組織== | ||
+ | ===住職=== | ||
+ | *空海 | ||
+ | *51藤田紫雲()<1973-2020>:真言宗九州教団9代管長。2020年4月10日住職を退任。 | ||
+ | *52藤田泰然()<2020->:藤田紫雲の長男。2020年4月10日就任。高野山大学卒。醍醐伝法学院修了。 | ||
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+ | ==資料== | ||
+ | ===史料=== | ||
+ | *『福岡市文化財調査目録5 東長寺収蔵品目録』1993 | ||
+ | *『東長寺文書1』福岡市総合図書館所蔵。2013年(平成25年)収集 | ||
+ | *『東長寺文書2』福岡市総合図書館所蔵。2017年(平成29年)収集。 | ||
+ | *『東長寺文書3』福岡市総合図書館所蔵。 | ||
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2021年3月12日 (金) 時点における最新版
東長寺(とうちょうじ)は、福岡県福岡市博多区御供所町にある真言宗の本山寺院。本尊は千手観音。空海が帰国後、最初に建てた密教寺院という。真言宗九州教団別格本山。元は真言宗御室派で、仁和寺末の筑前国触頭だった。福岡藩黒田家の菩提寺。櫛田神社の別当だった。福岡大仏がある。宝持院。東長蜜寺。東長密寺。通称は大師堂。山号は南岳山。
目次 |
歴史
806年(大同1年)、唐から博多に帰着した空海が最初に創建。独鈷杵と仏舎利を納め、自刻の不動明王を祀った。 はじめ博多海辺にあった。元弘の変の兵火に焼失。志摩郡志登村に移転。3年後に旧地に再建。
2代藩主黒田忠之が帰依し、再建。1648年(慶安1年)100石を寄進。慶安893年(寛平5年)200石に加増。黒田忠之の没後はその墓所となった。1707年(宝永4年)、3代藩主黒田光之も父の菩提のために100石を追加で寄進し300石となった。福岡藩黒田家の上席寺院五カ寺の一つ。
たびたび境内拡張され1717年(享保2年)に完成。 正徳年間、照海、仁和寺門跡の院家明応院となる(石城志[1])。のち龍巌院、鳳巌院、恵明院と改められた?
1779年(安永8年)仁和寺末から筑前国真言宗の総録職(触頭)に任命された。
櫛田神社の「座主坊」だったという。
1948年(昭和23年)5月、独立して真言宗九州教団を設立した。
伽藍
- 本堂:
- 大師堂:
- 大仏殿:
- 六角堂:末寺の神護寺から移転した。
- 五重塔:
- 護摩堂:廃絶か。
- 大日堂:廃絶か。
- 黒田忠之墓:
- 黒田光之墓:
- 黒田治高墓:
子院・末寺
組織
住職
- 空海
- 51藤田紫雲()<1973-2020>:真言宗九州教団9代管長。2020年4月10日住職を退任。
- 52藤田泰然()<2020->:藤田紫雲の長男。2020年4月10日就任。高野山大学卒。醍醐伝法学院修了。
資料
史料
- 『福岡市文化財調査目録5 東長寺収蔵品目録』1993
- 『東長寺文書1』福岡市総合図書館所蔵。2013年(平成25年)収集
- 『東長寺文書2』福岡市総合図書館所蔵。2017年(平成29年)収集。
- 『東長寺文書3』福岡市総合図書館所蔵。