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楼観台
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月12日 (日)
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開元29年(741)、[[玄宗]]は[[老子]]の霊夢を見て「私の肖像が長安の西100里あまりのところにあるから探しなさい。興慶宮で会おう」と託宣したという。そこで探索させると、楼観台のあたりで老子像を発見。長安[[興慶宮]]に迎え入れた。この像を元に画像を製作し、各地の[[開元観]]に奉安させた。これに合わせて、興慶宮では国家安泰を願う'''金籙斎'''(きんろくさい)が執行され、楼観台では、老子を含む皇室祖先を祀る'''黄籙斎'''(こうろくさい)が行われた。 | 開元29年(741)、[[玄宗]]は[[老子]]の霊夢を見て「私の肖像が長安の西100里あまりのところにあるから探しなさい。興慶宮で会おう」と託宣したという。そこで探索させると、楼観台のあたりで老子像を発見。長安[[興慶宮]]に迎え入れた。この像を元に画像を製作し、各地の[[開元観]]に奉安させた。これに合わせて、興慶宮では国家安泰を願う'''金籙斎'''(きんろくさい)が執行され、楼観台では、老子を含む皇室祖先を祀る'''黄籙斎'''(こうろくさい)が行われた。 | ||
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2023年11月12日 (日) 時点における最新版
楼観台(ろうかんだい)は、中国長安郊外の終南山麓にある道観。近くに老子墓もある。『道徳経』執筆の地。陝西省西安市周至県。道教全国重点宮観。
歴史
開元29年(741)、玄宗は老子の霊夢を見て「私の肖像が長安の西100里あまりのところにあるから探しなさい。興慶宮で会おう」と託宣したという。そこで探索させると、楼観台のあたりで老子像を発見。長安興慶宮に迎え入れた。この像を元に画像を製作し、各地の開元観に奉安させた。これに合わせて、興慶宮では国家安泰を願う金籙斎(きんろくさい)が執行され、楼観台では、老子を含む皇室祖先を祀る黄籙斎(こうろくさい)が行われた。