ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
橘寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(ページの作成:「'''橘寺'''(たちばな・でら)は、奈良県明日香村にある聖徳太子ゆかりの寺院。聖徳太子の生誕地とされ、太子創建七寺の...」) |
|||
1行: | 1行: | ||
- | '''橘寺'''(たちばな・でら)は、奈良県明日香村にある[[聖徳太子]] | + | '''橘寺'''(たちばな・でら)は、奈良県明日香村にある[[聖徳太子]]ゆかりの[[天台宗]]寺院。本尊は聖徳太子。太子の生誕地とされ、[[聖徳太子建立七寺]]の一つ。'''上宮皇院'''、'''菩提寺'''と号す。通称は'''橘樹寺'''。山号は仏頭山。 |
- | + | == 歴史 == | |
+ | 創建は不詳。推古14年(606)、聖徳太子が勝鬘経を講じた褒賞として天皇が創建したともいう(聖徳太子伝暦)。『日本書紀』に天武9年(680)4月、火災で尼坊が焼失とあるのが文献上の初出。延暦14年(795)にも火災(類聚国史)。金堂、講堂、五重塔があり四天王寺式に似た[[山田寺]]と同様の伽藍配置だった。白鳳時代から天智朝頃の造営とみられている。治安3年(1023)10月、[[藤原道長]]が[[高野山]]参詣の途中に参拝。 | ||
+ | 永正年間、[[多武峰]]衆徒の焼き討ちに遭う。江戸時代の寛文年間には講堂だけが残っていたという。 | ||
+ | 幕末の元治元年(1864)に復興され、現在の寺観が幕末から明治初年にかけて整えられた。 | ||
+ | 昭和28年から数度の発掘調査が行われる。(国史大辞典、日本歴史地名大系) | ||
[[category:奈良県]] | [[category:奈良県]] |
2017年9月11日 (月) 時点における版
橘寺(たちばな・でら)は、奈良県明日香村にある聖徳太子ゆかりの天台宗寺院。本尊は聖徳太子。太子の生誕地とされ、聖徳太子建立七寺の一つ。上宮皇院、菩提寺と号す。通称は橘樹寺。山号は仏頭山。
歴史
創建は不詳。推古14年(606)、聖徳太子が勝鬘経を講じた褒賞として天皇が創建したともいう(聖徳太子伝暦)。『日本書紀』に天武9年(680)4月、火災で尼坊が焼失とあるのが文献上の初出。延暦14年(795)にも火災(類聚国史)。金堂、講堂、五重塔があり四天王寺式に似た山田寺と同様の伽藍配置だった。白鳳時代から天智朝頃の造営とみられている。治安3年(1023)10月、藤原道長が高野山参詣の途中に参拝。
永正年間、多武峰衆徒の焼き討ちに遭う。江戸時代の寛文年間には講堂だけが残っていたという。 幕末の元治元年(1864)に復興され、現在の寺観が幕末から明治初年にかけて整えられた。 昭和28年から数度の発掘調査が行われる。(国史大辞典、日本歴史地名大系)