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永平寺承陽殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2022年5月9日 (月) 時点における版
永平寺承陽殿は福井県吉田郡永平寺町志比の永平寺にある道元の墓廟。かつては永平寺の塔頭にも数えられていたらしい。承陽庵。拝殿内に勅額「承陽」が掛かる。
奉斎
- 本殿
- 道元舎利
- 道元像
- 孤雲懐奘舎利
- 孤雲懐奘像
- 徹通義介像
- 義演像
- 義雲像
- 拝殿
- 本山歴代住職位牌
- 宗門寺院住職位牌
- 波多野義重像
- (道正像)
歴史
- 1512年:義雲像造立。承陽庵か霊梅院に奉安されたか。
- 1796年9月:玄透、世代改。幕府許可
- 1798年:「改永平寺世牌記」。徹通義介が3世、義演が4世に加えられる。
- この頃、本殿に波多野義重像と木下道正像も本殿にあった
- この頃、拝殿に歴代位牌を奉安すると同時に波多野義重像と木下道正像も拝殿に遷座
- 1806年12月:木下永順、道正像を本殿に戻すように請願。翌年12月許可。
- 1814年:この頃、道元像と懐奘像のみだった。『校割帳知客寮』
- 1820年4月13日:徹通像、造立開眼。道正像、拝殿に遷座する予定だったが、木下永順の請願で本殿の祭壇を拡張して奉安。
- 1852年:義雲像、宝慶寺から永平寺承陽庵本殿に遷座。
- 1879年:焼失
- 1881年:再建。波多野義重像と道正像は拝殿に奉安された。
- 1902年:この時点では本殿に5世までの像(義演像の奉安年代は不明)を祀る。拝殿の向かって右に歴代位牌、向かって左に波多野義重像、波多野家合同位牌、久我家位牌、道正像、道正位牌、入祖堂位牌が奉安されていた。『諸堂間数仏像宝物列祖年紀及例規法要』
- 不明:道正像、除かれる
- 不明:瑩山紹瑾像を祀る。