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江戸・鳳閣寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2021年1月7日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
鳳閣寺(ほうかくじ)は、江戸青山にあった当山修験の諸国総袈裟頭・江戸触頭を務めた真言宗寺院。本尊は不動明王(江戸名所図会)。元は戒定院(戒定慧院)と言ったが、大和・鳳閣寺を兼務してから鳳閣寺を称するようになった。 廃絶。
観応年間、伊豆にあった。向因山実相寺吉蔵院と称した。のち元禄12年、俊尊が吉野鳳閣寺の兼務を命じられ、寺号を改めた(『東洋文庫東都歳時記』註)。浜松の二諦坊と康松院も兼務した。 湯島天満宮の下にあったが湯島聖堂の南に移転(武江年表)。延宝3年のことか(同註)。 天明6年(1786)1月22日、湯島神田一帯の火災で焼失(武江年表)。 寛政10年(1798)、湯島から青山の梅窓院の東隣に移転(日本歴史地名大系)(武江年表では寛政11年とある)。
『寺社書上』48に「鳳閣寺縁記」(1681年(天和1年))があるらしい。