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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

江戸・鳳閣寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月8日 (金)

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鳳閣寺(ほうかくじ)は、江戸青山にあった当山修験諸国総袈裟頭江戸触頭を務めた真言宗寺院。本尊は不動明王(江戸名所図会)。元は戒定院(戒定慧院)と言ったが、大和・鳳閣寺を兼務してから鳳閣寺を称するようになった。 廃絶。

観応年間、伊豆にあった。向因山実相寺吉蔵院と称した。のち元禄12年、俊尊が吉野鳳閣寺の兼務を命じられ、寺号を改めた(『東洋文庫東都歳時記』註)。浜松の二諦坊康松院も兼務した。 湯島天満宮の下にあったが湯島聖堂の南に移転(武江年表)。延宝3年のことか(同註)。 天明6年(1786)1月22日、湯島神田一帯の火災で焼失(武江年表)。 寛政10年(1798)、湯島から青山の梅窓院の東隣に移転(日本歴史地名大系)(武江年表では寛政11年とある)。

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