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泉涌寺雲龍院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月2日 (木)

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[[file:泉涌寺雲龍院008.jpg|thumb|400px|泉涌寺雲龍院の霊明殿。歴代天皇の位牌を祀る。]]
[[file:泉涌寺雲龍院008.jpg|thumb|400px|泉涌寺雲龍院の霊明殿。歴代天皇の位牌を祀る。]]
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'''雲龍院'''(うんりゅういん)は、京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある[[皇室]]ゆかりの[[真言宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[泉涌寺]]塔頭の筆頭で「泉涌寺別院」とされる。[[真言宗泉涌寺派]]別格本山。[[後光厳天皇分骨所]]などがある。
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'''雲龍院'''(うんりゅういん)は、京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある[[皇室]]ゆかりの[[真言宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[泉涌寺]]塔頭の筆頭で「泉涌寺別院」とされる。[[真言宗泉涌寺派]]別格本山。[[後光厳天皇分骨所]]などがある。[[泉涌寺関連旧跡]]。
== 歴史 ==
== 歴史 ==
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1372年(文中1年/応安5年)、聖皐竹巌が[[後光厳天皇]]の帰依を受けて創建。
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*1372年(文中1年/応安5年):聖皐竹巌が[[後光厳天皇]]の帰依を受けて創建。
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[[後円融天皇]]は如法写経を発願し寺領を寄進。
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*不詳:[[後円融天皇]]は如法写経を発願し寺領を寄進。
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1416年(応永23年)9月10日、[[後小松上皇]]が御幸し、後光厳天皇と後円融天皇の御影に焼香したと『薩戒記』にある。
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*1416年(応永23年)9月10日:[[後小松上皇]]が御幸し、後光厳天皇と後円融天皇の御影に焼香したと『薩戒記』にある。[[称光天皇]]も帰依したという。後山には四天皇の分骨所が設けられたという。
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[[称光天皇]]も帰依したという。
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*1470年(文明2年):兵火で焼失。
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後山には四天皇の分骨所が設けられたという。
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*1502年(文亀2年)[[後柏原天皇]]が[[後土御門天皇]]使用の黒戸御殿を下賜し再建され、如法殿と称した。
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1470年(文明2年)、兵火で焼失。
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1502年(文亀2年)[[後柏原天皇]]が[[後土御門天皇]]使用の黒戸御殿を下賜し再建され、如法殿と称した。
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江戸時代初頭、如周正専が復興。
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*江戸時代初頭:如周正専が復興。[[後水尾上皇]]の造営費下賜を受けた。
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[[後水尾上皇]]の造営費下賜を受け、さらに1642年(寛永19年)、写経のための仏具100点余りを下賜された。
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*1642年(寛永19年):写経のための仏具100点余りを下賜された。以後、たびたび有縁の天皇の国忌に下賜金があった。
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以後、たびたび有縁の天皇の国忌に下賜金があった。
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*1843年(天保14年):以後、[[光格天皇]]妃や[[仁孝天皇]]皇女2人、[[孝明天皇]]皇女2人を後山に埋葬して菩提所としての性格を強めた。のち玄関、方丈、勅使門を下賜された。
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1843年(天保14年)以後、[[光格天皇]]妃や[[仁孝天皇]]皇女2人、[[孝明天皇]]皇女2人を後山に埋葬して菩提所としての性格を強め、
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*1866年(慶応2年):霊明殿を建立。
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玄関、方丈、勅使門を下賜。
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*1869年(明治2年):現存の形に再建された。
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1866年(慶応2年)、霊明殿を建立し、1869年(明治2年)、現存の形に再建された。
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(しおり、『日本歴史地名大系』)
(しおり、『日本歴史地名大系』)
==伽藍==
==伽藍==
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*妙法経塔:後光厳天皇分骨所内にある。雲龍院で写経した経典を納めるという。
*妙法経塔:後光厳天皇分骨所内にある。雲龍院で写経した経典を納めるという。
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File:泉涌寺雲龍院・正門.JPG|正門
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file:泉涌寺雲龍院012.jpg|鎮守社
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file:泉涌寺雲龍院009.jpg|書院
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File:泉涌寺・後光厳天皇分骨所・外観.JPG|後光厳天皇分骨所など。外観
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File:泉涌寺・後光厳天皇分骨所・参道 (2).JPG|後光厳天皇分骨所など。
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File:泉涌寺・後光厳天皇分骨所・墓塔・全景.JPG|後光厳天皇分骨所内の妙法経塔(手前)
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[[category:京都府]]
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2023年11月2日 (木) 時点における最新版

泉涌寺雲龍院の霊明殿。歴代天皇の位牌を祀る。

雲龍院(うんりゅういん)は、京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある皇室ゆかりの真言宗寺院。本尊は薬師如来泉涌寺塔頭の筆頭で「泉涌寺別院」とされる。真言宗泉涌寺派別格本山。後光厳天皇分骨所などがある。泉涌寺関連旧跡

歴史

  • 1372年(文中1年/応安5年):聖皐竹巌が後光厳天皇の帰依を受けて創建。
  • 不詳:後円融天皇は如法写経を発願し寺領を寄進。
  • 1416年(応永23年)9月10日:後小松上皇が御幸し、後光厳天皇と後円融天皇の御影に焼香したと『薩戒記』にある。称光天皇も帰依したという。後山には四天皇の分骨所が設けられたという。
  • 1470年(文明2年):兵火で焼失。
  • 1502年(文亀2年):後柏原天皇後土御門天皇使用の黒戸御殿を下賜し再建され、如法殿と称した。
  • 江戸時代初頭:如周正専が復興。後水尾上皇の造営費下賜を受けた。
  • 1642年(寛永19年):写経のための仏具100点余りを下賜された。以後、たびたび有縁の天皇の国忌に下賜金があった。
  • 1843年(天保14年):以後、光格天皇妃や仁孝天皇皇女2人、孝明天皇皇女2人を後山に埋葬して菩提所としての性格を強めた。のち玄関、方丈、勅使門を下賜された。
  • 1866年(慶応2年):霊明殿を建立。
  • 1869年(明治2年):現存の形に再建された。

(しおり、『日本歴史地名大系』)

伽藍

  • 本堂:本尊は薬師三尊。龍華殿と号す。後円融天皇発願の写経道場で、ここでの写経は天皇陵内の供養塔に納めるという。
  • 霊明殿:後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の位牌と後光厳天皇・後円融天皇の坐像を中央に祀る。左には後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇、右には東福門院や普明照院ら皇族の位牌を祀る。
  • 勅使門:本堂の正面にある。
  • 石塔:不詳
  • 書院:
  • 龍華堂:納骨堂
  • 雲龍院墓地:
  • 後光厳天皇分骨所:雲龍院墓地の最奥にある。
  • 妙法経塔:後光厳天皇分骨所内にある。雲龍院で写経した経典を納めるという。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B3%89%E6%B6%8C%E5%AF%BA%E9%9B%B2%E9%BE%8D%E9%99%A2」より作成

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