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法相宗

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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法相宗(ほっそうしゅう)は、北伝仏教大乗仏教の一宗派。玄奘弟子の慈恩大師窺基を開祖とする。

目次

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中国

日本

人物

インド

中国

  • 道宣(596-667):律宗の開祖だが、唯識を律宗の教理で位置付ける試みもしている。
  • 玄奘()
  • 窺基():大慈恩寺に住す。慈恩大師。
  • 慧沼():淄州大師。
  • 智周(668-723):慧沼に師事。報城寺に住す。弟子に玄昉。通称は、撲揚大師。
  • 欧陽竟无(1872-1943):中国近代の在家仏教者。楊文会に師事。唯識哲学を復興。
  • 湛然(711-781):天台宗の学僧。唯識にも通じる。
  • 智旭(1599-1655):天台宗の学僧。唯識にも通じる。

朝鮮

  • 円測

日本

  • 道昭(629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。玄奘に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。
  • 定慧(643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。長安の慧日道場で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を多武峰に築き、妙楽寺を開いたとされる。貞慧。
  • 智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。
  • 智達(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。
  • 智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。
  • 義淵
  • 行信(生没年不詳)
  • 護命
  • 仲継
  • 霊仙(生没年不詳)
  • 実範(?-1144):興福寺の学僧。戒律復興。
  • 宗性(1202-1278):東大寺の学僧。倶舎論、華厳教学、唯識、因明学などを研究。
  • 凝然(1240-1321):
  • 信培(1675-1747):浄土律の学僧。諸学に通じ、唯識や華厳を究める。詳細は律宗の諸師旧跡を参照。
  • 覚州(?-1756):華厳宗の僧侶。京都・華厳寺の鳳潭の弟子。唯識研究で知られ、『成唯識論』への書き入れが残り、参照される。中村宗玄。
  • 大鹿愍成(1857-1925):浄土宗知恩院派の学僧。宗教大学(大正大学)教授。金戒光明寺法主。唯識が専門。
  • 曽我量深(1875-1971):真宗大谷派の学僧。真宗学と唯識が専門。清沢満之の弟子。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B3%95%E7%9B%B8%E5%AE%97」より作成

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