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法龍寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月23日 (日)
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- | 如信(1235-1300)は[[親鸞]]の孫で、のち[[本願寺]] | + | 如信(1235-1300)は[[親鸞]]の孫で、のち[[本願寺]]2世とされた。奥州布教の際、この近くの山で放置されていた[[聖徳太子]]像を見つけたので太子堂を建てたのが始まりという。弟子の乗善坊を堂守とした。如信は1299年(正安1年)、京都で報恩講を務めた帰り、太子堂に滞在した時に発病。翌年4月に死去した。 |
乗善坊がこの地に墓を建てた。1674年(延宝2年)、[[徳川光圀]]が墓に参詣した際に法龍寺を建てた(翌年、光圀は[[願入寺]]を復興している)。 | 乗善坊がこの地に墓を建てた。1674年(延宝2年)、[[徳川光圀]]が墓に参詣した際に法龍寺を建てた(翌年、光圀は[[願入寺]]を復興している)。 | ||
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2018年12月23日 (日) 時点における最新版
法龍寺(ほうりゅうじ)は茨城県久慈郡大子町上金沢(常陸国久慈郡)にある如信ゆかりの浄土真宗寺院。如信墓_常陸伝承地があり、「如信上人終焉之地」碑がある。真宗大谷派。山号は大網山。
歴史
如信(1235-1300)は親鸞の孫で、のち本願寺2世とされた。奥州布教の際、この近くの山で放置されていた聖徳太子像を見つけたので太子堂を建てたのが始まりという。弟子の乗善坊を堂守とした。如信は1299年(正安1年)、京都で報恩講を務めた帰り、太子堂に滞在した時に発病。翌年4月に死去した。 乗善坊がこの地に墓を建てた。1674年(延宝2年)、徳川光圀が墓に参詣した際に法龍寺を建てた(翌年、光圀は願入寺を復興している)。 (日本歴史地名大系)