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石山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*道朝(1224-?):久我通光の子。 | *道朝(1224-?):久我通光の子。 | ||
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+ | *「石山寺座主并禅林・観心両寺座主相承次第」[http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=29467] | ||
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2019年2月25日 (月) 時点における版
石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市にある、観音信仰の真言宗寺院。西国三十三所観音霊場第13番札所。東寺真言宗。本尊は如意輪観音。良弁旧跡。東大寺関連旧跡。 別格本山から大本山に昇格したらしい。山号は石光山。
目次 |
歴史
749年(天平感宝1年/天平勝宝1年)、良弁が小堂を築いたのが起源とされる。
本格的な整備は奈良時代、造東大寺司の配下に造石山寺所が設置されてからのこと。761年(天平宝字5年)12月から翌年8月にかけて本堂、法堂、鐘楼、経蔵、僧房、食堂、写経所などが建設された。石山寺の創建は孝謙上皇の保良宮造営と関連すると考えられている。保良宮は759年(天平宝字3年)11月に建設が始められ、761年(天平宝字5年)10月に上皇が御幸している。 平安時代から貴族がたびたび参詣した。紫式部が『源氏物語』を石山寺で起筆したと伝える。917年(延喜17年)、宇多上皇が御幸。
石山寺に設置された写経所は平安時代末まで機能したらしく、ここで書写・収集された経典は「石山寺一切経」として現存。730年(天平2年)の『瑜伽師地論』が最古。正倉院聖語蔵の経典と並ぶ国内の最古級の写経群とされる。
鎌倉時代、源頼朝が伽藍を整備。 1336年(延元1年/建武3年)、後醍醐天皇軍と足利尊氏軍が近くで対峙した時、兵が寺庫を破ったという。 1573年(天正1年)、将軍足利義昭軍と織田信長軍が衝突し、伽藍が焼失した。
江戸時代には仁和寺宮の管轄となる。 秘仏となった本尊の開帳がたびたび行われた。33年ごとを基本として天皇即位の臨時開帳もあった。
伽藍
- 本堂:奈良時代建立。1078年(承暦2年)、本堂焼失。1097年(承徳1年)本堂再建。奈良時代の平面を維持しているという。1602年(慶長7年)礼堂を改築。如意輪観音像は平安時代のもので1097年(承徳1年)再建時の造立と考えられている。「日本唯一の勅封秘仏」という。33年ごとと天皇即位の翌年に開帳。正面に懸け造りの礼堂が接続する。
- 多宝塔:金剛界大日如来を祀る。1194年(建久5年)建立。日本で現存最古の多宝塔という。
- 護摩堂:廃絶。
- 東大門:金剛力士像を祀る。山門、総門。源頼朝が寄進。淀殿が全面的に改修したという。
- 御影堂:空海と淳祐を祀る。元は法華堂だった。良弁も祀られていたが現在はないらしい。
- 三十八所権現社:天智天皇までの歴代天皇38人を祀るという。吉野蔵王権現の眷属の三十八所権現と関係あるかもしれない。
- 金龍龍王社:
- 比良明神影向石:比良明神が出現した磐座。良弁が吉野蔵王権現の神示で石山を訪れた時、この石の上に翁がおり、石山寺の創建につながった。この翁が比良明神だったという。
- 龍蔵権現社:
- 八大龍王社:歴海が龍穴で孔雀経を読誦すると龍王が現れたという。
- 観音堂:西国霊場の三十三観音を合祀する。
- 毘沙門堂:兜跋毘沙門天、吉祥天、善〓師童子を祀る。
- 宝篋印塔:南北朝時代の石塔。四国霊場のお砂踏みがある。
- 蓮如堂:蓮如を祀る。元来は三十八所権現社の拝殿。近代になって蓮如堂とされた。
- 経蔵:
- 鐘楼:
- 紫式部塔:類例のない宝篋印塔を三重に重ねた石塔。寄せ集めで作られたものではないという。
- 宝塔:めかくし石と呼ばれる。
- 源頼朝塔:宝篋印塔。源頼朝を祭る。
- 亀谷禅尼塔:宝篋印塔。亀谷禅尼は源頼朝の次女の乳母という。
- 心経堂:1990年(平成2年)建立。如意輪観音を祀り、奉納された写経を収める。
- 豊浄殿:宝物館
- 光堂:本尊は阿弥陀如来。鎌倉時代に存在した同名の堂を石山を発祥とする東レが2000年(平成12年)に寄進。
- 霊仙碑:日本人僧侶で唯一人、三蔵法師の号を中国皇帝から認められた霊仙を称える。霊仙三蔵碑。
- 閼伽井屋:
- 大黒天:
- 大湯屋:
- 朗澄碑:経典整備に尽力した朗澄を記念する碑。死後は鬼となって経典を守護すると遺言したことから鬼の姿で彫られている。「朗澄律師大徳遊鬼境」の中にある。1999年(平成11年)に建てられた。
子院
- 普賢院:淳祐の住房。
- 勝南院:毘沙門天。源頼朝の乳母が隠棲した。
- 西本坊:
- 中西坊:
- 湖月坊:
- 多聞坊:
- 東池坊:
- 梅本坊:
- 岸本坊:
- 宝性院:現存。石山寺寺務所となっている。
- 明王院:現存。
- 吉祥院:現存。
- 自性院:
- 密蔵院:現存。1893年(明治26年)、島崎藤村が滞在。
- 持宝院:旧称は宝幢院。
- 世尊院:1075年(承保2年)には存在していた。1877年(明治10年)焼失して廃絶。1979年(昭和54年)に発掘調査されている。復興?
- 円乗院:
- 法輪院:現存。
組織
歴代座主
- 良弁(689-773):石山寺開山。東大寺開山。
- 1聖宝(832-909):
- 2観賢(854-925):聖宝の弟子。仁和寺別当。東寺長者。醍醐寺座主。金剛峰寺座主。東大寺検校。
- 3淳祐(890-953):石山寺中興。菅原氏。菅原道真の孫。通称は石山内供、普賢院内供。
- 杲守
- 長厳(1152-1228):後鳥羽天皇の帰依を得た。承久の乱で陸奥に配流。熊野三山検校。新熊野検校。石山寺座主。
- 道朝(1224-?):久我通光の子。
- 朗澄
- 「石山寺座主并禅林・観心両寺座主相承次第」[1]
典籍
- 『石山寺縁起』:鎌倉時代の絵巻。正中年間の成立。全7巻。33段。