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穂落神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月4日 (日)
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- | '''穂落神社'''(ほおとし・じんじゃ)は伊勢国鈴鹿郡(三重県亀山市川崎町県)にあった神社。祭神は[[日本武尊]]・[[保食神]]・[[建貝児王]]。[[官社]]「県主神社」の論社。村社。[[能褒野神社]]に合祀。通称は'''県大明神'''。 | + | '''穂落神社'''(ほおとし・じんじゃ)は伊勢国鈴鹿郡(三重県亀山市川崎町県)にあった神社。祭神は[[日本武尊]]・[[保食神]]・[[建貝児王]]。[[官社]]「県主神社」の論社。村社。[[能褒野神社]]に合祀。通称は'''県大明神'''、'''穂落大明神'''、'''穂落明神'''。 |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | + | 創建不詳。字の「県」や県大明神の呼称から川崎町周辺が古代の「英多郷(あがたごう)」の地と考えられ、遡れば県主(あがたぬし)が住んでいたと推定される。『古事記』には建貝児王は日本武尊の王子で、伊勢之別などの祖となったとある。『新撰姓氏録』に「県主」を日本武尊の末裔とあり、県主が祖神を祀ったのが神社の期限と考えられる。1759年(宝暦9年)の「神社記」が残る。1908年(明治41年)、能褒野神社に合祀された。 | |
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+ | 穂落神社の名の由来は不詳。三重県志摩市の[[佐美長神社]]([[伊雑宮]]所管社)も「穂落社」と呼ばれていた。[[伊勢・稲葉神社]]にも穂落大明神が祀られているという説もある。 | ||
1998年(平成10年)、[[椿大神社]]境内に[[伊勢・県主神社|県主神社]]が復興されている。 | 1998年(平成10年)、[[椿大神社]]境内に[[伊勢・県主神社|県主神社]]が復興されている。 | ||
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(日本歴史地名大系、椿大神社境内由緒書ほか) | (日本歴史地名大系、椿大神社境内由緒書ほか) | ||
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[[Category:三重県]] | [[Category:三重県]] |
2022年12月4日 (日) 時点における最新版
穂落神社(ほおとし・じんじゃ)は伊勢国鈴鹿郡(三重県亀山市川崎町県)にあった神社。祭神は日本武尊・保食神・建貝児王。官社「県主神社」の論社。村社。能褒野神社に合祀。通称は県大明神、穂落大明神、穂落明神。
歴史
創建不詳。字の「県」や県大明神の呼称から川崎町周辺が古代の「英多郷(あがたごう)」の地と考えられ、遡れば県主(あがたぬし)が住んでいたと推定される。『古事記』には建貝児王は日本武尊の王子で、伊勢之別などの祖となったとある。『新撰姓氏録』に「県主」を日本武尊の末裔とあり、県主が祖神を祀ったのが神社の期限と考えられる。1759年(宝暦9年)の「神社記」が残る。1908年(明治41年)、能褒野神社に合祀された。
穂落神社の名の由来は不詳。三重県志摩市の佐美長神社(伊雑宮所管社)も「穂落社」と呼ばれていた。伊勢・稲葉神社にも穂落大明神が祀られているという説もある。
1998年(平成10年)、椿大神社境内に県主神社が復興されている。
(日本歴史地名大系、椿大神社境内由緒書ほか)