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羅南護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月6日 (木)
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- | '''羅南護国神社'''(らなん・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の咸鏡北道清津府にあった、戦没者を祀った[[招魂社]]。[[京城護国神社]]と共に内地の[[指定護国神社]]に相当とされたとみられる。 | + | '''羅南護国神社'''(らなん・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の咸鏡北道清津府にあった、戦没者を祀った[[招魂社]]。[[京城護国神社]]と共に内地の[[指定護国神社]]に相当とされたとみられる。[[朝鮮の神社]]。 |
==祭神== | ==祭神== | ||
江原道、咸鏡南道、咸鏡北道の戦没者を祀ったという。植民地朝鮮に本籍を置くものだけでなく、内地本籍者でも、朝鮮に居住したり、朝鮮近辺で戦死したりしたものは合祀の対象となった。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557699/1/56]。 | 江原道、咸鏡南道、咸鏡北道の戦没者を祀ったという。植民地朝鮮に本籍を置くものだけでなく、内地本籍者でも、朝鮮に居住したり、朝鮮近辺で戦死したりしたものは合祀の対象となった。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557699/1/56]。 |
2023年7月6日 (木) 時点における最新版
羅南護国神社(らなん・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の咸鏡北道清津府にあった、戦没者を祀った招魂社。京城護国神社と共に内地の指定護国神社に相当とされたとみられる。朝鮮の神社。
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祭神
江原道、咸鏡南道、咸鏡北道の戦没者を祀ったという。植民地朝鮮に本籍を置くものだけでなく、内地本籍者でも、朝鮮に居住したり、朝鮮近辺で戦死したりしたものは合祀の対象となった。[1]。
歴史
- 1944年10月5日、創立[2]
- 1945年(昭和20年)8月15日午前3時、小沢芳邦社司が御神体を奉じて12km山奥の檜郷洞の山中に避難。
- 1945年(昭和20年)8月18日夜、三洞嶺に深さ5尺の穴を掘り、御神体を埋納した(「敗戦直後の海外神社」)。