ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

興福寺一乗院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(一乗院興福寺一乗院へ移動)
1行: 1行:
-
[[興福寺]]の別当を務めた門跡寺院。本尊は阿弥陀如来と大日如来(「興福寺諸堂縁起」)。廃絶。「橘御殿」とも呼ばれた。
+
[[興福寺]]の別当を務めた[[門跡寺院]]。本尊は阿弥陀如来と大日如来(「興福寺諸堂縁起」)。廃絶。「橘御殿」「長講堂」とも呼ばれた。
 +
宮門跡。
 +
 +
天禄年間(970-973)に定昭が創建。
 +
関白藤原師実の子の覚信が入寺して、門跡となる(兄弟の尋範は大乗院に入寺した)。
 +
室町幕府最後の将軍の足利義昭が就任前に門跡を務めていた。
 +
 +
[[大乗院]]と交互に別当を務めた。
久邇宮朝彦親王は40代一乗院門跡尊応法親王だった。
久邇宮朝彦親王は40代一乗院門跡尊応法親王だった。
 +
最後の門跡である応昭は、還俗し、華族に列せられ水谷川忠起となり、[[春日大社]]宮司となった。
 +
跡地は奈良地方裁判所となっている。
-
最後の門跡である応昭は、還俗し、華族に列せられ水谷川忠起となり、春日大社宮司となった。
+
宸殿が唐招提寺に移築されて現存。

2014年12月14日 (日) 時点における版

興福寺の別当を務めた門跡寺院。本尊は阿弥陀如来と大日如来(「興福寺諸堂縁起」)。廃絶。「橘御殿」「長講堂」とも呼ばれた。 宮門跡。


天禄年間(970-973)に定昭が創建。 関白藤原師実の子の覚信が入寺して、門跡となる(兄弟の尋範は大乗院に入寺した)。 室町幕府最後の将軍の足利義昭が就任前に門跡を務めていた。

大乗院と交互に別当を務めた。 久邇宮朝彦親王は40代一乗院門跡尊応法親王だった。 最後の門跡である応昭は、還俗し、華族に列せられ水谷川忠起となり、春日大社宮司となった。 跡地は奈良地方裁判所となっている。

宸殿が唐招提寺に移築されて現存。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E4%B8%80%E4%B9%97%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール