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興福寺大乗院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | 隆禅が寛治1年(1087) | + | 隆禅が寛治1年(1087)2月に創建。元は現在の奈良県庁あたりにあった。 |
尋範が入寺して以来、摂家門跡となる。 | 尋範が入寺して以来、摂家門跡となる。 | ||
- | + | 平重衡の南都焼討で焼失。[[元興寺禅定院]]を譲り受けて移転。 | |
宮門跡であった[[一乗院]]と交互に興福寺別当を務めたが、石高を見ても、一乗院の下位にあったと思われる。 | 宮門跡であった[[一乗院]]と交互に興福寺別当を務めたが、石高を見ても、一乗院の下位にあったと思われる。 | ||
明治維新で廃絶となり、最後の門跡は男爵松園家となった。 | 明治維新で廃絶となり、最後の門跡は男爵松園家となった。 | ||
跡地には奈良ホテルや大乗院庭園がある。 | 跡地には奈良ホテルや大乗院庭園がある。 |
2014年12月14日 (日) 時点における版
興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。「飛鳥御殿」と呼ばれた。
本尊は十一面観音、釈迦如来、阿弥陀如来(「興福寺諸堂縁起」)。
隆禅が寛治1年(1087)2月に創建。元は現在の奈良県庁あたりにあった。
尋範が入寺して以来、摂家門跡となる。
平重衡の南都焼討で焼失。元興寺禅定院を譲り受けて移転。 宮門跡であった一乗院と交互に興福寺別当を務めたが、石高を見ても、一乗院の下位にあったと思われる。
明治維新で廃絶となり、最後の門跡は男爵松園家となった。 跡地には奈良ホテルや大乗院庭園がある。