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華開院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月11日 (金)

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浄土宗。皇室関連寺院。京都府京都市。五辻御所。勅願寺。日野富子墓。
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'''華開院'''(けかいいん)は京都府京都市上京区行衛町にある[[浄土宗]]寺院。皇室関連寺院。五辻御所。[[勅願寺]]。日野富子墓。[[光照院宮墓地]]がある。
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1257年、[[後深草天皇]]皇子の法達法親王が創建。あるいは[[亀山天皇]]皇子の守良親王が創建したともいう。場所は大宮五辻(上京区花開院町)にあった。
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本尊阿弥陀如来像は[[真如堂]]本尊と同木で[[円仁]]が作ったといい、[[日吉大社]]の念仏堂から移したものという。
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[[天台宗]]だったが弘安年間、向阿証賢が中興して浄土宗となり、[[清浄華院]]末となった。
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1287年のことともいう。
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応仁の乱で焼失。
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のち上御霊町の東に移り、1668年、現在地に移った。
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近世は11石。
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(『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』ほか』
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[[category:京都府]]
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2022年2月11日 (金) 時点における最新版

華開院(けかいいん)は京都府京都市上京区行衛町にある浄土宗寺院。皇室関連寺院。五辻御所。勅願寺。日野富子墓。光照院宮墓地がある。

1257年、後深草天皇皇子の法達法親王が創建。あるいは亀山天皇皇子の守良親王が創建したともいう。場所は大宮五辻(上京区花開院町)にあった。 本尊阿弥陀如来像は真如堂本尊と同木で円仁が作ったといい、日吉大社の念仏堂から移したものという。 天台宗だったが弘安年間、向阿証賢が中興して浄土宗となり、清浄華院末となった。 1287年のことともいう。

応仁の乱で焼失。 のち上御霊町の東に移り、1668年、現在地に移った。 近世は11石。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』ほか』

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%8F%AF%E9%96%8B%E9%99%A2」より作成

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