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薩摩・不断光院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年3月29日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
不断光院(ふだんこういん)は鹿児島県鹿児島市易居町(薩摩国鹿児島郡)にある浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。鹿児島藩領最大の浄土宗寺院で、領内の浄土宗触頭だった。。元は鹿児島市下竜尾町にあり、薩摩・浄光明寺に隣接していた。浄土宗知恩院派。山号は養泉山。
歴史
1562年(永禄5年)、浄蓮社芳渓清誉(生没年不詳)が島津家15代の島津貴久(1514-1571)に招かれて創建。薩摩国への浄土宗布教の最初期のものとされ、他の地方に比べて遅い。
清誉は近衛家と関係が深い京都不断光院の住職で、永禄年間、近衛信輔が薩摩に下向した時に清誉も随行し、島津忠良・貴久・義久が帰依したという。1818年(文政1年)、本宗家25代・藩主8代の島津重豪(1745-1833)が増上寺から宝峰立禅を20世として招いて復興。寺領200石。1863年(文久3年)、薩英戦争で焼失。再建されないまま1869年(明治2年)の廃仏毀釈で廃絶した。
再興した島津重豪をまつる薩摩・護国権現社や春日社があった。 子院として宝樹庵・知月庵・孝林庵・専称庵があった。
1874年(明治7年)、易居町の土地を取得。1878年(明治11年)に本堂着工。1883年(明治16年)竣工。再興には山中定迎が関わる。1945年(昭和20年)空襲で焼失。 (日本歴史地名大系)