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西大寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年6月3日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市にある古代寺院で、南都仏教・真言宗の本山寺院。本尊は清涼寺式釈迦如来。称徳天皇が創建。天皇が帰依した道鏡の影響も指摘されている。古代の官寺七大寺の一つ。鎌倉時代に叡尊が中興し、真言律宗西大寺流の拠点となる。元は金堂(現・四王堂)が中心だったが、中興以降は光明真言堂を本堂とする。奥之院として叡尊墓所の体性院がある。鎮守は、西大寺八幡神社。真言律宗西大寺派総本山。秋篠山四天院と称す。西大寺関連旧跡も参照。(参考:同名寺院西大寺 (同名)・天王寺)
組織
住職(古代)
西大寺別当が置かれた。
住職(叡尊以降)
長老と称す。
- 1:叡尊(1201-1290):真言律宗西大寺流の開祖。西大寺中興。興正菩薩。宗祖と呼ばれる(空海は高祖とされる)。
- 2:信空(1231-1316):叡尊の弟子。後宇多上皇の帰依を受ける。諸国国分寺の復興を行う。慈真和尚。
- 3:宣瑜(1240-1325):叡尊の弟子。弘正寺に住す。花園天皇に授戒。
- 4:静然(1252-1331):
- 5:賢善
- 6:澄心
- 7:信昭
- 8:元耀
- 9:真湛
- 10:清算
- 11:覚乗
- 12:貞祐
- 13:信尊
- 14:堯基
- 15:貞泉
- 16:禅誉
- 17:慈朝
- 18:深泉
- 19:良耀
- 20:高湛(1323-1408):
- 21:叡空
- 22:英如
- 23:英源
- 24:元空
- 25:栄秀
- 26:高海
- 27:良誓
- 28:元澄
- 29:高算
- 30:仙恵
- 31:秀如
- 32:良慶
- 33:尊海
- 34:高仲
- 35:高森
- 36:玄海
- 37:高実
- 38:光淳
- 39:高珠
- 40:尊珠
- 41:高興
- 42:尊慶
- 43:凝海
- 44:高秀
- 45:高久
- 46:高仙
- 47:尊智
- 48:高喜
- 49:賢瑜
- 50:高円
- 51:尊信
- 52:高算
- 53:尊覚
- 54:尊栄
- 55:寛慶
- 56:高瑜
- 57:尊静
- 58:尊堂
- 59:尊員
- 60:慶般
- 61:英堂
- 62:尊慧
- 63:高判
- 64:佐伯弘澄(1824-1906)<1874-1906>:文政7年2月5日生。下総国印旛郡岩戸村出身。旧姓は間野。天保6年に長谷寺末の実蔵院で出家。天保8年、長谷寺に修学。元治元年までいた。明治2年、東大寺戒壇院で受戒。明治3年、東大寺真言院住職。明治6年6月28日、教導職九級試補。明治7年11月28日、奈良県中教院に勤務。同年12月18日、奈良県の命令で西大寺住職に就任。明治8年8月7日、権中講義。明治19年12月16日、「長老」の号が復活。たび重なる請願で明治28年6月6日、真言律宗独立を実現。7月4日、初代管長就任。また明治8年5月14日から明治15年4月1日まで「元興福寺守護職」(「元興福寺堂塔守護」とも。のち「奈良公園取締」)を務めた。明治39年4月7日死去。
- 65:福垣真応(1871-1928)<1906-1928>:自坊は伊賀宝厳寺。明治39年6月2日、長老就任。昭和3年5月27日死去。
- 66:佐伯悟龍(1875-1942)<1928->:京都出身。明治8年8月24日生。旧姓は植村。明治20年出家。真言律宗大学林卒。明治39年、弘澄の養子となる。昭和3年9月6日、長老就任。昭和17年9月6日死去。
- 67:駒岡乗円(-1952)<1942->:昭和17年11月9日、長老就任。昭和27年1月26日死去。
- 68:瀬木俊明(-1974)<1952-1960>:昭和27年2月8日長老就任。昭和35年3月31日、引退。昭和49年4月4日死去。
- 69:松本実道(1904-1999)<1960->:昭和35年4月1日、長老就任。昭和49年1月、後七日御修法で大阿闍梨を務める。
- 70:谷口光明(1922-2012)<1996-2008>:
- 71:大矢実円(1935-)<2008->:
(『仏家人名辞書』、望月『仏教大辞典 付録』ほか)