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超昇寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''超昇寺''' | + | '''超昇寺'''(ちょうしょうじ)は、大和国添下郡(奈良県奈良市)にあった、[[真如法親王]]ゆかりの[[真言宗]]寺院。[[官寺]]二十五大寺の一つ。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つ。[[清海曼荼羅]]が伝えられていた。清海の立てた念仏堂があった。江戸時代、[[江戸・護持院|護持院]]を退いた[[隆光]]が1709年(宝永6年)9月隠棲の場所として再興。隆光弟の孫の栄純が弟子となり、1709年(宝永6年)12月、超昇寺をつぐ。権大僧都。上人号を賜う。栄純の甥の興春が超昇寺をつぐ。明治に廃絶。跡地付近に[[隆光墓]]がある。'''超勝寺'''。 |
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2021年2月6日 (土) 時点における版
超昇寺(ちょうしょうじ)は、大和国添下郡(奈良県奈良市)にあった、真如法親王ゆかりの真言宗寺院。官寺二十五大寺の一つ。修験道当山派の正大先達の一つ。清海曼荼羅が伝えられていた。清海の立てた念仏堂があった。江戸時代、護持院を退いた隆光が1709年(宝永6年)9月隠棲の場所として再興。隆光弟の孫の栄純が弟子となり、1709年(宝永6年)12月、超昇寺をつぐ。権大僧都。上人号を賜う。栄純の甥の興春が超昇寺をつぐ。明治に廃絶。跡地付近に隆光墓がある。超勝寺。