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越前・大虫神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年5月5日 (日)
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== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | もとは鬼ケ岳山頂にあった。『続日本紀』780年(宝亀11年)12月14日条で「越前国丹生郡大虫神」に従五位下、791年(延暦10年)4月15日条で従四位下となる。1576年(天正4年)に兵火で焼失するまでは多くの社殿が並んでいた。1583年(天正11年) | + | もとは鬼ケ岳山頂にあった。『続日本紀』780年(宝亀11年)12月14日条で「越前国丹生郡大虫神」に従五位下、791年(延暦10年)4月15日条で従四位下となる。1576年(天正4年)に兵火で焼失するまでは多くの社殿が並んでいた。1583年(天正11年)[[豊臣秀吉]]が再興。この時、[[越前・小虫神社]]、[[雨夜神社]]、[[越前・雷神社]]の官社3社と若宮社も本殿に合祀。1875年(明治8年)1月県社(神道史大辞典)。(日本歴史地名大系) |
[[Category:福井県]] | [[Category:福井県]] |
2019年5月5日 (日) 時点における最新版
大虫神社(おおむし・じんじゃ)は福井県越前市大虫町(越前国丹生郡)にある神社。祭神は天津日高彦火火出見尊。官社。名神大社。県社。称徳天皇大嘗祭の時の主基田の斎場となったという。大虫社。大嘗祭関連旧跡。(参考:同名神社大虫神社)
歴史
もとは鬼ケ岳山頂にあった。『続日本紀』780年(宝亀11年)12月14日条で「越前国丹生郡大虫神」に従五位下、791年(延暦10年)4月15日条で従四位下となる。1576年(天正4年)に兵火で焼失するまでは多くの社殿が並んでいた。1583年(天正11年)豊臣秀吉が再興。この時、越前・小虫神社、雨夜神社、越前・雷神社の官社3社と若宮社も本殿に合祀。1875年(明治8年)1月県社(神道史大辞典)。(日本歴史地名大系)