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金剛三昧院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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律宗兼学だからなのか、長老と称す。 | 律宗兼学だからなのか、長老と称す。 | ||
- | *1[[退耕行勇]] | + | *1[[退耕行勇]](1163-1241)<1234->:1234年(文暦1年)、金剛三昧院初代長老に就任。[[栄西]]の弟子。[[浄妙寺]]、[[東勝寺]]、[[鎌倉・常楽寺]]の開山。[[建仁寺]]2世。[[寿福寺]]住職。[[東大寺大勧進]]3世。 |
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*5真空(1204-1268)<>:[[京都・大通寺]]開山。木幡観音院に住す。鎌倉無量寿院長老。木幡義の始祖。廻心房。木幡上人。 | *5真空(1204-1268)<>:[[京都・大通寺]]開山。木幡観音院に住す。鎌倉無量寿院長老。木幡義の始祖。廻心房。木幡上人。 | ||
- | *6[[心地覚心]] | + | *6[[心地覚心]](1207-1298)<1256->:1256年(康元1年)金剛三昧院長老。入宋僧。信濃出身。常澄氏。退耕行勇に師事。入宋して杭州[[護国仁王寺]]の無門慧開に学ぶ。[[興国寺]]、京都[[妙光寺]]の開山。[[法燈派]]の祖。[[高野聖]]の祖ともされる。日本[[普化宗]]の開祖とされる。無本覚心、法燈円明国師。 |
*12実融(1247-1339)<1304->:証道流の祖。京都出身。[[藤原氏]]。1247年(宝治1年)(1250年(建長2年)とも)生。定円について得度。[[泉涌寺]]智鏡、[[東大寺戒壇院]]の円照から戒律・密教を学ぶ。また[[東大寺尊勝院]]の宗性から華厳を学ぶ。[[高野山安養院]]の頼賢から伝法灌頂を受けた。1304年(嘉元2年)金剛三昧院長老。1334年(建武1年)後醍醐天皇から綸旨。[[足利尊氏]]の帰依を得た。1339年(延元4年/暦応2年)1月19日(15日とも)、金剛三昧院で死去。静空。証道上人。 | *12実融(1247-1339)<1304->:証道流の祖。京都出身。[[藤原氏]]。1247年(宝治1年)(1250年(建長2年)とも)生。定円について得度。[[泉涌寺]]智鏡、[[東大寺戒壇院]]の円照から戒律・密教を学ぶ。また[[東大寺尊勝院]]の宗性から華厳を学ぶ。[[高野山安養院]]の頼賢から伝法灌頂を受けた。1304年(嘉元2年)金剛三昧院長老。1334年(建武1年)後醍醐天皇から綸旨。[[足利尊氏]]の帰依を得た。1339年(延元4年/暦応2年)1月19日(15日とも)、金剛三昧院で死去。静空。証道上人。 | ||
2022年9月24日 (土) 時点における版
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある真言宗寺院。鎌倉将軍家の菩提寺。本尊は愛染明王。現在は金剛峰寺の子院だが、元は金剛峰寺や大伝法院と並ぶ格式をもった本山級寺院だった。鎌倉幕府が創建。関東祈祷所。
組織
歴代住職
律宗兼学だからなのか、長老と称す。
- 1退耕行勇(1163-1241)<1234->:1234年(文暦1年)、金剛三昧院初代長老に就任。栄西の弟子。浄妙寺、東勝寺、鎌倉・常楽寺の開山。建仁寺2世。寿福寺住職。東大寺大勧進3世。
- 2隆禅()<>:
- 3
- 4
- 5真空(1204-1268)<>:京都・大通寺開山。木幡観音院に住す。鎌倉無量寿院長老。木幡義の始祖。廻心房。木幡上人。
- 6心地覚心(1207-1298)<1256->:1256年(康元1年)金剛三昧院長老。入宋僧。信濃出身。常澄氏。退耕行勇に師事。入宋して杭州護国仁王寺の無門慧開に学ぶ。興国寺、京都妙光寺の開山。法燈派の祖。高野聖の祖ともされる。日本普化宗の開祖とされる。無本覚心、法燈円明国師。
- 12実融(1247-1339)<1304->:証道流の祖。京都出身。藤原氏。1247年(宝治1年)(1250年(建長2年)とも)生。定円について得度。泉涌寺智鏡、東大寺戒壇院の円照から戒律・密教を学ぶ。また東大寺尊勝院の宗性から華厳を学ぶ。高野山安養院の頼賢から伝法灌頂を受けた。1304年(嘉元2年)金剛三昧院長老。1334年(建武1年)後醍醐天皇から綸旨。足利尊氏の帰依を得た。1339年(延元4年/暦応2年)1月19日(15日とも)、金剛三昧院で死去。静空。証道上人。