ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
金剛三昧院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?資料) |
(?資料) |
||
19行: | 19行: | ||
*「金剛三昧院文書」:『高野山文書』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E6%96%87%E6%9B%B8/g6kq5ypF1NgC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP5&printsec=frontcover]。『鷲峯余光』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1151295/109]。『岸和田市史史料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2987848/14]。『日本の神―神道史学のために』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3451587/69]。『八日市市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9571216/154]。『田原本町史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576585/56] | *「金剛三昧院文書」:『高野山文書』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1%E6%96%87%E6%9B%B8/g6kq5ypF1NgC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP5&printsec=frontcover]。『鷲峯余光』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1151295/109]。『岸和田市史史料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2987848/14]。『日本の神―神道史学のために』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3451587/69]。『八日市市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9571216/154]。『田原本町史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576585/56] | ||
*「高野山金剛三昧院短册」:1344年(興国5年/康永3年)。『続群書類従』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1785673/19] | *「高野山金剛三昧院短册」:1344年(興国5年/康永3年)。『続群書類従』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1785673/19] | ||
- | * | + | *「金剛三昧院住持次第」:唯心著。その後の書き込みがある。『高野山文書』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1219227/234] |
+ | *「金剛三昧院旧記」: | ||
+ | *「金剛三昧院紀年誌」: | ||
*『紀伊続風土記高野山之部』「金剛三昧院」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2531055/253] | *『紀伊続風土記高野山之部』「金剛三昧院」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2531055/253] | ||
*『析負輯』「金剛三昧院」 | *『析負輯』「金剛三昧院」 |
2022年9月24日 (土) 時点における版
金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある真言宗寺院。鎌倉将軍家の菩提寺。本尊は愛染明王。現在は金剛峰寺の子院だが、元は金剛峰寺や大伝法院と並ぶ格式をもった本山級寺院だった。鎌倉幕府が創建。関東祈祷所。
目次 |
組織
歴代住職
律宗兼学だからなのか、長老と称す。
- 1退耕行勇(1163-1241)<1234->:1234年(文暦1年)、金剛三昧院初代長老に就任。栄西の弟子。浄妙寺、東勝寺、鎌倉・常楽寺の開山。建仁寺2世。寿福寺住職。東大寺大勧進3世。
- 2隆禅()<>:
- 3
- 4
- 5真空(1204-1268)<>:京都・大通寺開山。木幡観音院に住す。鎌倉無量寿院長老。木幡義の始祖。廻心房。木幡上人。
- 6心地覚心(1207-1298)<1256->:1256年(康元1年)金剛三昧院長老。入宋僧。信濃出身。常澄氏。退耕行勇に師事。入宋して杭州護国仁王寺の無門慧開に学ぶ。興国寺、京都妙光寺の開山。法燈派の祖。高野聖の祖ともされる。日本普化宗の開祖とされる。無本覚心、法燈円明国師。
- 12実融(1247-1339)<1304->:証道流の祖。京都出身。藤原氏。1247年(宝治1年)(1250年(建長2年)とも)生。定円について得度。泉涌寺智鏡、東大寺戒壇院の円照から戒律・密教を学ぶ。また東大寺尊勝院の宗性から華厳を学ぶ。高野山安養院の頼賢から伝法灌頂を受けた。1304年(嘉元2年)金剛三昧院長老。1334年(建武1年)後醍醐天皇から綸旨。足利尊氏の帰依を得た。1339年(延元4年/暦応2年)1月19日(15日とも)、金剛三昧院で死去。静空。証道上人。
- 長宥匡(1838-1917)<>:勧修寺長吏。真言宗山階派初代管長。
- 久利康彰
- 久利康暢
資料
史料
- 「金剛三昧院文書」:『高野山文書』[1]。『鷲峯余光』[2]。『岸和田市史史料』[3]。『日本の神―神道史学のために』[4]。『八日市市史』[5]。『田原本町史』[6]
- 「高野山金剛三昧院短册」:1344年(興国5年/康永3年)。『続群書類従』[7]
- 「金剛三昧院住持次第」:唯心著。その後の書き込みがある。『高野山文書』[8]
- 「金剛三昧院旧記」:
- 「金剛三昧院紀年誌」:
- 『紀伊続風土記高野山之部』「金剛三昧院」[9]
- 『析負輯』「金剛三昧院」
- 1969『重要文化財金剛三昧院客殿及び台所・四所明神社本殿・多宝塔修理工事報告書』
- 2013『重要文化財金剛三昧院客殿及び台所ほか一基修理工事報告書』
文献
- 舟越康壽1937「金剛三昧院領粥田庄の研究」[10]
- 1939「金剛三昧院の略史と其の文書について」[11]
- 朝日道雄1939「高野山金剛三昧院多宝塔の諸仏に就て」[12]
- 辻善之助1941「行勇と金剛三昧院」[13]
- 原田弘道1974「道元禅師と金剛三昧院隆禅」[14]
- 中尾良信1988「金剛三昧院隆禅について」[15]
- 青木啓明2000「在田荘の伝領と安達氏・金剛三昧院」[16]
- 青木啓明2000「澄海の在田荘支配と安達氏・金剛三昧院」[17]
- 原田正俊2002「室町幕府と高野山金剛三昧院―禅律系寺院の在り方」『中世の寺院体制と社会』
- 原田正俊2003「高野山金剛三昧院と鎌倉幕府」『仏法の文化史』
- 2004『高野山金剛三昧院史』
- 木下浩良2020「源氏一門墓所としての高野山金剛三昧院―新発見の足利宗氏五輪塔を中心として」[18]