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阿保親王旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年2月6日 (月)
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- | '''阿保親王''' | + | '''阿保親王'''(あぼしんのう)(792-842)は[[平城天皇]]皇子。[[在原業平]]の父。[[真如法親王]]の兄。[[大江氏]]・[[毛利家]]の遠祖という説もある。第一皇子だったが、弘仁元年(810)の薬子の変に連座して[[大宰府]]に左遷。のち許されて帰京したが、承和9年(842)、承和の変に巻き込まれ急死。51歳。大和国の[[在原寺]]や山城国の[[願成寺]](現[[東福寺]]塔頭)を創建したともいう。また[[葛井寺]]を再興したとも。治定[[阿保親王墓]]が菩提寺の[[親王寺]]の近くにある。また大阪府松原市の[[大塚陵墓参考地]]も墓の伝承がある。[[打出天神社]]、[[在原神社]]などの祭神。 |
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2023年2月6日 (月) 時点における最新版
阿保親王(あぼしんのう)(792-842)は平城天皇皇子。在原業平の父。真如法親王の兄。大江氏・毛利家の遠祖という説もある。第一皇子だったが、弘仁元年(810)の薬子の変に連座して大宰府に左遷。のち許されて帰京したが、承和9年(842)、承和の変に巻き込まれ急死。51歳。大和国の在原寺や山城国の願成寺(現東福寺塔頭)を創建したともいう。また葛井寺を再興したとも。治定阿保親王墓が菩提寺の親王寺の近くにある。また大阪府松原市の大塚陵墓参考地も墓の伝承がある。打出天神社、在原神社などの祭神。
- 阿保親王墓
- 阿保親王墓_東山伝承地
- 阿保親王墓_松原伝承地:陵墓参考地。
- 阿保神社:大阪府松原市阿保