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須佐神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 神裔の須佐家が須佐大宮司を世襲した。須佐国造と称したというが、史書には国造の号はみえない。八重山神社で相続の儀式を行う。61年ごとに宮司邸を造営したという。現在も須佐神社宮司を世襲しているようだ。 | ||
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+ | *24稲田宮主益成:国造となったという、 | ||
+ | *44須佐友行()<>: | ||
+ | *45須佐兼平()<>:出雲宗孝の子。須佐友行の養子。 | ||
+ | *48須佐兼頼()<>:後鳥羽天皇の隠岐配流の時に玉体安穏の祈祷を行い、天国刀を下賜された。 | ||
+ | *49須佐宗孝 | ||
+ | *50須佐泰孝 | ||
+ | *54須佐孝綱()<>:後醍醐天皇の隠岐配流の時に玉串を献じて御靴を下賜された。 | ||
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+ | *73須佐建敏(1801-1886)<>: | ||
+ | *74須佐建真(1832-1911)<>:須佐建敏の子。明治12年、神道八雲教会を設立。明治16年10月、今市町に八雲教院を設置。須佐寛令とも。鈴木重胤に国学を学ぶ。 | ||
+ | *坂倉某()<>:自害? | ||
+ | *75須佐建勲(1851-1917)<>:北島全孝に国学を学ぶ。 | ||
+ | *76須佐建親()<>:著書に大正11年『須佐神社概要』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963733]。 | ||
+ | *77須佐建啓()<>:島根県神社庁庁長。 | ||
+ | *78須佐建紀()<>: | ||
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2019年11月14日 (木) 時点における版
須佐神社 すさ じんじゃ | |
概要 | スサノオを奉斎する出雲の古社。 |
奉斎 | 須佐之男命 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 島根県出雲市佐田町須佐730 |
所在地(旧国郡) | 出雲国飯石郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・国幣小社・別表神社 |
関連記事 | 出雲スサノオ信仰 |
目次 |
概要
歴史
境内
組織
須佐家
神裔の須佐家が須佐大宮司を世襲した。須佐国造と称したというが、史書には国造の号はみえない。八重山神社で相続の儀式を行う。61年ごとに宮司邸を造営したという。現在も須佐神社宮司を世襲しているようだ。
- 24稲田宮主益成:国造となったという、
- 44須佐友行()<>:
- 45須佐兼平()<>:出雲宗孝の子。須佐友行の養子。
- 48須佐兼頼()<>:後鳥羽天皇の隠岐配流の時に玉体安穏の祈祷を行い、天国刀を下賜された。
- 49須佐宗孝
- 50須佐泰孝
- 54須佐孝綱()<>:後醍醐天皇の隠岐配流の時に玉串を献じて御靴を下賜された。
- 73須佐建敏(1801-1886)<>:
- 74須佐建真(1832-1911)<>:須佐建敏の子。明治12年、神道八雲教会を設立。明治16年10月、今市町に八雲教院を設置。須佐寛令とも。鈴木重胤に国学を学ぶ。
- 坂倉某()<>:自害?
- 75須佐建勲(1851-1917)<>:北島全孝に国学を学ぶ。
- 76須佐建親()<>:著書に大正11年『須佐神社概要』[1]。
- 77須佐建啓()<>:島根県神社庁庁長。
- 78須佐建紀()<>:
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』