ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

麟祥院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月19日 (金)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の4版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''麟祥院'''(りんしょういん)は、東京都文京区湯島にある、[[徳川家]]の菩提寺となった[[臨済宗]]寺院。[[妙心寺]]末の[[触頭]]だった。本尊は釈迦如来。[[臨済宗妙心寺派]]。春日局の菩提寺。通称は'''枳殻寺'''。山号は天沢山。
+
'''麟祥院'''(りんしょういん)は、東京都文京区湯島にある[[徳川家]]ゆかりの[[臨済宗]]寺院。[[妙心寺]]末の[[触頭]]だった。本尊は[[釈迦如来]]。[[臨済宗妙心寺派]]。春日局の菩提寺。通称は'''枳殻寺'''。山号は天沢山。
== 歴史 ==
== 歴史 ==
-
1624年創建の報恩山天沢寺が前身。徳川秀忠猶子の神龍が入ったが、まもなくなくなったため、
+
*1624年(寛永1年):前身の'''報恩山天沢寺'''創建。。徳川秀忠猶子の神龍が入ったが、まもなくなくなったため、下野国[[興禅寺]]の渭川周瀏を招いて開山とし、春日局を開基とした。
-
 
+
*1635年(寛永12年):麟祥院と改称。
-
 
+
*1647年(正保4年):この年までに300石寄進された。
-
下野国興禅寺の渭川周瀏を招いて開山とし、春日局を開基とした。
+
*妙心寺にも同名の塔頭[[妙心寺麟祥院]]が建てられた。
-
1635年、麟祥院と改称。1647年までに300石寄進された。
+
*江戸時代中期までは妙心寺末の江戸触頭を務めた。
-
妙心寺にも同名の塔頭[[妙心寺麟祥院]]が建てられた。
+
*1887年(明治20年):[[東洋大学]]の前身の[[哲学館]]が境内に建てられた。
-
江戸時代中期までは妙心寺末の江戸触頭を務めた。
+
-
1887年、東洋大学の前身の哲学館が境内に建てられた。
+
(『日本歴史地名大系』『国史大辞典』)
(『日本歴史地名大系』『国史大辞典』)
20行: 18行:
*閻魔堂
*閻魔堂
*春日局御霊屋
*春日局御霊屋
-
 
+
==画像==
 +
<Gallery widths="300" heights="200" perrow="3">
 +
ファイル:江戸麟祥院001.jpg
 +
ファイル:江戸麟祥院002.jpg|春日局墓
 +
ファイル:江戸麟祥院003.jpg
 +
ファイル:本郷湯島絵図・湯島.jpg
 +
ファイル:本郷湯島絵図・湯島天満宮.jpg
 +
</Gallery>
[[category:東京都]]
[[category:東京都]]

2024年4月19日 (金) 時点における最新版

麟祥院(りんしょういん)は、東京都文京区湯島にある徳川家ゆかりの臨済宗寺院。妙心寺末の触頭だった。本尊は釈迦如来臨済宗妙心寺派。春日局の菩提寺。通称は枳殻寺。山号は天沢山。

歴史

  • 1624年(寛永1年):前身の報恩山天沢寺創建。。徳川秀忠猶子の神龍が入ったが、まもなくなくなったため、下野国興禅寺の渭川周瀏を招いて開山とし、春日局を開基とした。
  • 1635年(寛永12年):麟祥院と改称。
  • 1647年(正保4年):この年までに300石寄進された。
  • 妙心寺にも同名の塔頭妙心寺麟祥院が建てられた。
  • 江戸時代中期までは妙心寺末の江戸触頭を務めた。
  • 1887年(明治20年):東洋大学の前身の哲学館が境内に建てられた。

(『日本歴史地名大系』『国史大辞典』)

伽藍

  • 汲清軒:開山堂を管理
  • 幽勝庵
  • 頤神院
  • 霊樹院
  • 禅堂
  • 閻魔堂
  • 春日局御霊屋

画像

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%BA%9F%E7%A5%A5%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール