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龍門石窟寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''龍門石窟寺院''' | + | '''龍門石窟寺院'''(りゅうもん・せっくつ・じいん)は、河南省洛陽市洛龍区龍門鎮にある[[仏教]]の[[中国の石窟寺院|石窟寺院]]。[[莫高窟]]、[[雲崗石窟]]と並ぶ'''中国三大石窟'''の一つ。 |
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+ | 仏教を重視した北魏では旧都[[大同]]でも近くに[[雲崗石窟]]を開いたが、494年に孝文帝が洛陽遷都を行うと、直後からその近くの龍門に造営が始まった。その後、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐にわたり400年掘り続けられた。五代、北宋の時代にも造営はわずかに行われた。 | ||
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+ | 北魏時代に開かれた洞としては古陽洞、賓陽洞、蓮華洞、薬方洞、火焼洞、石窟寺、魏字洞、趙客師洞、普泰洞がある。 | ||
+ | 唐代では、[[則天武后]]の時代の、潜渓寺、万仏洞、奉先寺、大万洞、高平郡王洞、極南洞、看経洞が代表的。特に奉先寺は、日本の[[東大寺]][[大仏]]のモデルになったとも言われる。この頃から[[浄土教]]の発展から[[阿弥陀仏]]が急増。[[地蔵菩薩]]の[[三階教]]の窟もある。西方二十五祖の大万洞、二十九祖の看経洞は[[禅宗]]で様々な宗派がみられる。新羅窟もある。 | ||
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+ | 古陽洞は、遷都した494年前後に開かれた最も早期の石窟。太和19年(495)の題記がある。精巧な彫刻が残り、北魏様式を代表する。龍門二十品のうち、19点がある。 | ||
+ | 賓陽洞は、北魏の景明元年(500)に開削され、23年かけて完成した。主像は釈迦。唐代に完成した北洞、南洞もある。 | ||
+ | 蓮華洞は、伊闕洞ともいう。5.1mの釈迦像が主像。天井に蓮華が彫られている。北魏時代。 | ||
+ | 薬方洞は、北魏末に開削が始まり、200年後の唐代則天武后の時代に完成した。140種の薬の製法が刻されている。仏像はいずれも北斉時代のもの。 | ||
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+ | 潜渓寺は、唐代で初めて開かれた洞。洞内に泉水が流れている。唐代様式の阿弥陀像などがある。 | ||
+ | 万仏洞は、高宗のために則天武后や皇子が永隆元年(680)に建造。正面に阿弥陀がおり、南北の壁面に1万5000体の仏像を刻す。 | ||
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+ | 奉先寺は、高宗と則天武后が造営した大仏のある龕。幅36m、長さ41mある。高さ17mの毘盧遮那仏のほか、二弟子、二菩薩、二天王、二力士が彫られている。壁面には1万5000の像がある。[[東大寺]]大仏のモデルとなったと言われる。[[東大寺関連旧跡]]の一つ。 | ||
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+ | *鎌田茂雄『仏教の来た道』 | ||
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2016年10月25日 (火) 時点における版
龍門石窟寺院(りゅうもん・せっくつ・じいん)は、河南省洛陽市洛龍区龍門鎮にある仏教の石窟寺院。莫高窟、雲崗石窟と並ぶ中国三大石窟の一つ。
洛陽中心部から南12kmにある。伊水の両岸の断崖に南北1kmに及ぶ。石窟は1352窟、龕750所、仏塔40余基、像は10万体という。造像題記や碑刻も多い。書道史で名品として知られる龍門二十品もある。
仏教を重視した北魏では旧都大同でも近くに雲崗石窟を開いたが、494年に孝文帝が洛陽遷都を行うと、直後からその近くの龍門に造営が始まった。その後、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐にわたり400年掘り続けられた。五代、北宋の時代にも造営はわずかに行われた。
北魏時代に開かれた洞としては古陽洞、賓陽洞、蓮華洞、薬方洞、火焼洞、石窟寺、魏字洞、趙客師洞、普泰洞がある。 唐代では、則天武后の時代の、潜渓寺、万仏洞、奉先寺、大万洞、高平郡王洞、極南洞、看経洞が代表的。特に奉先寺は、日本の東大寺大仏のモデルになったとも言われる。この頃から浄土教の発展から阿弥陀仏が急増。地蔵菩薩の三階教の窟もある。西方二十五祖の大万洞、二十九祖の看経洞は禅宗で様々な宗派がみられる。新羅窟もある。
伽藍
古陽洞は、遷都した494年前後に開かれた最も早期の石窟。太和19年(495)の題記がある。精巧な彫刻が残り、北魏様式を代表する。龍門二十品のうち、19点がある。 賓陽洞は、北魏の景明元年(500)に開削され、23年かけて完成した。主像は釈迦。唐代に完成した北洞、南洞もある。 蓮華洞は、伊闕洞ともいう。5.1mの釈迦像が主像。天井に蓮華が彫られている。北魏時代。 薬方洞は、北魏末に開削が始まり、200年後の唐代則天武后の時代に完成した。140種の薬の製法が刻されている。仏像はいずれも北斉時代のもの。
潜渓寺は、唐代で初めて開かれた洞。洞内に泉水が流れている。唐代様式の阿弥陀像などがある。 万仏洞は、高宗のために則天武后や皇子が永隆元年(680)に建造。正面に阿弥陀がおり、南北の壁面に1万5000体の仏像を刻す。
奉先寺は、高宗と則天武后が造営した大仏のある龕。幅36m、長さ41mある。高さ17mの毘盧遮那仏のほか、二弟子、二菩薩、二天王、二力士が彫られている。壁面には1万5000の像がある。東大寺大仏のモデルとなったと言われる。東大寺関連旧跡の一つ。
参考文献
- 鎌田茂雄『仏教の来た道』