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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

下京・福田寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年5月18日 (土)

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福田寺(ふくでんじ)は京都府京都市下京区本塩竈町にある皇族・鎌倉将軍ゆかりの時宗寺院。本尊は阿弥陀如来遊行派。通称は汁谷道場渋谷道場。山号は東岡山。(参考:同名寺院福田寺

歴史

鎌倉将軍6代宗尊親王(1242-1274)が帰洛後に開いたという。 親王は後嵯峨天皇第一皇子で亀山天皇の兄。1252年、幕府に将軍として迎えられたが1265年に職を解かれ、京都に送還された。 寺伝によると1272年2月、出家して尭空と名乗り、3月、東山汁谷(渋谷、しるたに、しぶたに)に福田寺を建てたという。 ただし一般には法名は行証または覚恵として知られている。 天台だったというが、どのようなものかは不明。

『中昔京師地図』には渋谷道の南側に仏光寺の東に描かれる。 1486年には時宗となり、市屋道場金光寺末となっていた。 1598年、豊国神社造営のため、高倉五条の南(現下京区福田寺町)に移転させられたが、 数年のうちに現在地に移転した。西本願寺造営のために移転させられた本寺金光寺の南に当たる。 朱印地6石。1788年、1864年焼失。 (『日本歴史地名大系』)

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