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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

備中・妙本寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年2月10日 (日)

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妙本寺(みょうほんじ)は、岡山県加賀郡吉備中央町北(備中国賀陽郡)にある大覚ゆかりの日蓮宗寺院。本尊は二尊四士と曼荼羅。日蓮宗久遠寺派。この地は備中国だが、日像門流による「備前法華」の拠点となった寺の一つであり、西身延と呼ばれる。同派の宗門史跡に指定されている。一時、境智寺を名乗った。山号は具足山。(参考:同名寺院妙本寺 (同名)

歴史

寺伝によると1281年(弘安4年)の創建とされる。鎌倉御家人の伊達朝義は日蓮龍口法難の現場におり、日蓮の毅然とした態度をみて帰依した。のち備中国の野山庄を与えられて下る時、身延山の草庵を訪ね、日蓮に面会。日蓮の下向と寺院開創を願ったが叶わず、その弟子の日像を開山として具足山妙本寺の名を与えられた。日像はのちに京都に妙顕寺を建て布教を始めるが、備中には代理として弟子の大覚を派遣。正和年間に妙本寺に入ったという。

地頭伊達氏の庇護の下、野山庄にいた大覚が活動していたことは京都妙顕寺に残る大覚宛の日像書状から史実と考えられる。備中妙本寺も鎌倉時代末にはあったと考えられ、瀬戸内地域の最古の日蓮宗寺院の一つとみられている。歴代住職からは各地の本山貫首に出世した僧が少なくない。 一時京都妙顕寺が妙本寺を名乗ったので、1393年(明徳4年)から1542年(天文11年)までは境智寺と称したという。 (日本歴史地名大系)

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