ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

出羽・宝幢寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月30日 (火)

移動: 案内, 検索

宝幢寺(ほうどうじ)は山形県山形市東原町にあった真言宗寺院。天童愛宕神社別当。宝珠院。山号は摩訶迦羅山。

三宝院門跡の院家勝倶胝院を兼務する院室兼帯寺院常法談林所。将軍独礼。醍醐寺光台院末で、江戸・弥勒寺支配だった。


目次

歴史

731年、行基が滝平に創建。これを出羽・瑜伽寺とする伝承もある。 1357年、斯波兼頼が山形に移転して復興。醍醐寺から道助を招く。

最上義光の天童城攻略に験があったとして仏向寺領1070石を割いて寄進。合わせて1370石となった。1584年、最上義光は天童城跡に愛宕神社を建て、宝幢寺を別当とした。山形城の拡張でも移転せず三の丸に取り込まれた。出羽国の真言宗触頭となった。多田満仲伝来という神鏡を最上家が宝幢寺に収め、最上義光がこれを山形城内に祀ったが、真言宗天台宗各寺院が集まって行う祈祷の時には宝幢寺が法頭を務めた。


1622年、鳥居忠政が山形に入ると地蔵町に移転。 1648年、徳川家から初めて朱印状を得た。 1793年、院家兼帯。 神仏分離で1870年廃絶。 その後は山形県中教院、山形県神道事務分局となった。

組織

住職

  • 1道助(生没年不詳):中興。花山院家出身と伝える。醍醐寺で学ぶ。斯波兼頼に招かれた。
  • 2道海(生没年不詳):
  • 3宥海(生没年不詳):
  • 4道快(生没年不詳):
  • 5尊快(生没年不詳):
  • 6快雄(生没年不詳):
  • 7俊快(生没年不詳):
  • 8尊憲(生没年不詳):
  • 9覚恵(生没年不詳):
  • 10義快(生没年不詳):
  • 11宥快(生没年不詳):
  • 12定雄(生没年不詳):
  • 13尊賢(生没年不詳):
  • 14宥運(生没年不詳):
  • 15日雄(生没年不詳):
  • 16尊海(?-1615?):中興。越後国出身。最上義光の帰依を得た。1615年8月30日、東の方に飛び去ったという。
  • 17尊清:越後国柏崎出身。のち米沢毘沙門堂に転任。
  • 18宥雄:裕雄。常陸水戸出身。天正19年38歳で就任。慶長16年死去。
  • 19尊雄:慶長19年死去。
  • 20元雅:武蔵国大宮郷出身。加茂宮神職の子。根来寺で学び、鎌倉鶴岡八幡宮の我覚院と等覚院を兼務。元和元年、宝幢寺住職。醍醐光台院で伝法灌頂を受ける。以後、房玄方を伝える。元和8年、常陸普門寺に引退。寛永14年死去。
  • 21祐貞:岩城出身。元和8年就任。寛永13年死去。
  • 22宥俊:岩城出身。寛永14年就任。智積院第一座。江戸・弥勒寺に住す?正保2年死去。
  • 23俊海:常陸水戸出身。正保2年就任。寛文元年死去。61歳。
  • 24亮弁:宥俊の弟子。寛文元年就任。元禄10年退任。元禄13年死去。
  • 25隆弁:元禄11年就任。享保2年死去。
  • 26亮長:享保2年就任。享保17年死去。
  • 27弁応:享保17年就任。元文2年退任。宝暦8年死去。
  • 28宥喜:元文2年就任。元文3年引退。寛延3年死去。
  • 29智田:智弁。元文3年就任(宝幢寺興廃録の宝暦元年は誤りという)。宝暦13年死去。
  • 30高弁:明和元年就任。明和4年死去。
  • 31弁格:明和4年就任。安永8年死去。
  • 32岳弁:安永9年就任。天明4年死去。
  • 33頼弁:天明4年就任。天明7年死去。
  • 34喬岳:天明7年就任。寛政5年三宝院門跡の院家兼務。寛政7年死去。
  • 35亮岳:出羽国出身。寛政8年就任。文政元年死去。
  • 36宥慶:出羽国庄内就任。文政3年就任。文政5年死去。
  • 37昭洲:下総国出身。智積院第二座。文政7年就任。天保14年死去。
  • 38朝海:武蔵国足立郡出身。文化12年生。川口錫杖寺で出家。真福寺役者を経て天保15年就任。安政6年退任。明治3年還俗。
  • 39海旭:山形藩士の子。昭洲の弟子。嘉永4年智積院で死去。24歳。歴代を贈る。
  • 40浄珊:佐伯菅雄。武蔵国埼玉郡出身。天保10年生。嘉永2年川口錫杖寺で出家。安政6年、弥勒寺の命で宝幢寺住職。慶応元年、智積院第一座格。明治3年、還俗。愛宕神社祠官となる。4月氷川神社で学ぶ。平田家に入門。明治4年5月、山形県神職触頭に任命。明治6年八幡神社祠官を兼務。明治6年6月、教導職訓導。7年9月、中教院庶務課長。10月中講義。8年10月大講義。神道事務分局長。12年12月権少教正。明治15年皇典講究所分所詰。17年10月権中教正。20年2月、神道本局幹事。21年本局幹事、分局長、神社祠官を辞職。23年12月教導職を辞職。明治27年死去。


子院

六供とも称した。

  • 徳性院:院代。杉本坊。
  • 延命院:藤本坊。
  • 花養院:桜本坊。元禄年間に大破無住。
  • 長善院:梅本坊。明和年間に大破無住。
  • 智音院:岩本坊。寛文8年には無住。
  • 教王院:滝本坊。寛文8年には無住。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%87%BA%E7%BE%BD%E3%83%BB%E5%AE%9D%E5%B9%A2%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール