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勅詔院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年6月28日 (火)
勅詔院は宮崎県都城市高崎町東霧島にあった真言宗寺院。東霧島神社(高城東霧島権現)の別当。勅諚院、勅定院とも。寺号は金剛仏作寺。山号は東霧島山。
開山は性空で、元は天台宗だった。1600年に及瑜が復興して真言宗となった。 1870年廃絶。 一説に元禄年間に錫杖院から改称したという(錫杖院は霧島神宮別当華林寺や霧島東神社別当錫杖院の院号でもある)。 一説に金剛仏作寺は狭野神社別当神徳院の寺号でもある。
組織
- 『宮崎県史蹟調査』「東霧島神社」[1]
歴代住職1
- 1:性空(910-1007)<>:
- 2:実有()<>:
- 3:宥信()<>:
- 4:真仲()<>:
- 5:真盛()<>:
- 6:信存()<>:
- 7:信秀()<>:
- 8:信宝()<>:
- 9:快宗()<>:
- 10:快憲()<>:
- 11:舜恵()<>:神徳院を兼務。1543年、狭野神社を高原に復興。
- 12:豪澄()<>:1599年、庄内合戦に島津軍側に参戦し、志和池城を攻めた。
歴代住職2
- 1:及瑜()<>:中興。元は根来寺の僧侶。1585年根来攻めで焼かれた後、九州に下り、下倉永の飯山寺を中興。島津義弘の帰依を得て1600年、勅詔院座主となる。
- 2:性隆()<>:
- 3:性秀()<>:
- 4:頼尚()<>:
- 5:恵以()<>:
- 6:龍意()<>:
- 7:玄誉()<>:
- 8:慈範()<>:
- 9:盛長()<>:
- 10:光如()<>:
- 11:実盤()<>:
- 12:宥実()<>:
- 13:宥伝()<>:
- 14:盛善()<>:
- 15:盛範()<>:
- 16:盛林()<>:
- 17:覚宥()<>:
- 18:快音()<>:
- 19:覚〓()<>:(〓は「日」の下に「羅」)
- 20:照応()<>:
- 21:照誠()<>:
- 22:龍意()<>:元禄11年在職。