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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

台南神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年1月27日 (日)

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台南神社
たいなん じんじゃ
概要 北白川宮能久親王の霊廟。薨去地。
奉斎 能久親王
(土岐昌訓論文)
所在地 (台湾台南州台南市南門町)
台南市中西区忠義路2段1号
所在地(旧国郡)
所属(現在)
格式など 官幣中社
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目次

概要

台南神社(たいなん・じんじゃ)は、植民地台湾州台南市にあった、北白川宮能久親王を祀る霊社。廃絶。鎮座地は親王の没地で、台湾神宮の元宮に当たると言える。外地唯一の官幣中社

歴史

1923年(大正12年)10月28日鎮座。1925年(大正14年)10月31日官幣中社列格。戦後、廃絶。跡地に台南市忠烈祠 (南区)が建てられたが、同祠は遷座。台南体育館、のち公十一芸術公園となる。

境内

組織

宮司

  • 山口透()<1925-1926>:1901年(明治34年)5月24日、台湾神社宮司に就任。1925年(大正14年)10月31日、台南神社宮司を兼務。1926年(昭和1年)7月23日、兼務宮司を退任。(「任免裁可書」[1]
  • 鈴村譲(1854-1930)<1926-1927>:宇和島藩出身。1854年(安政1年)生。藩校明倫館、青石洞書院で学ぶ。1878年(明治11年)、西郷隆盛に呼応し、クーデターを図るが事前に露見し投獄。のち1886年(明治19年)大分県警部。1901年(明治34年)9月5日台湾神社主典。1905年(明治38年)2月10日、開山神社社司を兼務。台南神社禰宜を兼務。台南庁誌編修委員。1926年(昭和1年)7月23日、台南神社宮司就任。1927年(昭和2年)1月17日、病気により退任。1930年(昭和5年)死去。(「愛媛県宇和島市鈴村家文書・解説」[2]、「任免裁可書」[3][4][5]
  • 松本頼光(1888-)<1927->:1888年(明治21年)生。台湾神社主典を経て1927年(昭和2年)1月17日、台南神社宮司。1943年(昭和18年)1月21日、台中神社宮司を兼務。(「任免裁可書」[6][7]

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8F%B0%E5%8D%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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